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ボロ泣きしたのは3回。それを情緒不安定というらしい。

初めて心療内科を受診した日、私は先生の前でボロ泣きした。
そのときにもらった診断書には「情緒不安定」との記載あり。

そうか、こういうのを言葉にすると情緒不安定というのか…と思ったものだ。
2回目は、1月の中頃(3回目)の受診のとき。私の診断書の期限は1月末日までとの記載があった。その頃の私は、このまま会社に戻されてしまうのだろうかと不安で不安でしょうがなかった。

なんせ、ちゃんと食べることが出来る。ただ眠れないくらいだ。このまま戻されたらどうしようと、受診日まで毎日が不安だった。いざ先生と話しを始めると、またボロボロと泣いてしまった。

その頃には自分の言葉で気持ちを口にすることが出来ていた。自分なりに自己分析も出来ていた。将来への漠然とした不安が、本当は「悔しい」という気持ちだったと分かったと説明した。

天職だと思っていた。やっと就くことが出来た部署から、半年たらずでの人事異動。それも私は報復人事だと思っている。

周りの人はきっと、新しい部署の仕事が馴染めなかったのね…くらいに思っていると思う。私は、そこから逃げ出して、そのまま休職に入ってしまったから。

でも本当は…目の前に、異動させられる前の部署があって、毎日嫌でも目に入ってくる。新しい部署で、仕事が出来ないわけではなかったけど、天職だと心熱く仕事に没頭していた自分を思い返すと辛くて仕方がなかった。

適応障害だと…言った先生が「そっちかぁ」と言った。

そして、それは自分ではどうにも出来ないので、まず会社と話しをしたほうが良いと言ってくれた。確かに自分の本当の気持ちを誰にも告げることなくきてしまった。

心の行き場は、どこにもないまま。

先生の勧めで、すぐに人事面談の予約を入れた。気心のしれた方が一人いて、その方を指名で申し込んだ。

ところが当日、その方の前の面談が伸びていて、別の方が入室。もちろん知ってる方なのだけど。気持ちがギリギリのところで溢れてしまって、私はボロボロ泣いてしまった。これが3回目のボロ泣き。
自分でも、まさか会社に来て泣くとは思ってなかった。思っていた人と違う方が目の前に現れただけで、泣いてしまうようなガラスの心。

こういうのを情緒不安定というのだな。…というか他人から見たら、そう受け取られてもしょうがないと妙に納得(笑)

これでハッキリしたことがある。この分だと、産業医面談でボロ泣きし復帰出来ない可能性がある。そのことを先生にお伝えしたところ、診断書は4月の末まで延長してくれた。

その夜から、私は徐々に「悔しい」の思考から抜け出すことが出来るようになった。まだ薬がなければ眠ることは出来ないのだけど…。大きな荷物を人に託した気分。それだけ強い言葉で、私は相手を罵ってきた(と思う)

(まだ言い足りないくらいだけど?!)

人事の方が、何かを少し報告したところで状況が変わるとは思ってないけどね。

そういえば、休職前に1度会社でボロ泣きしてた。あれはまだ異動前。私の代わりに男性が配属されることになって挨拶に来られたとき。私は、その人に取って変わられたんだと心中穏やかでなくて。

「短い間ですが宜しくお願いします」と言われているのに嗚咽交じりにトイレに駆け込んだんだった。

ビックリされただろうな。
トイレから戻ったらチャットで必死で謝罪したけど。面と向かっては謝れなかった。とにかく異動の日まで私をそっとしておいてと願ってた。

でもそのとき初めて思ったんだ。半年、泣けずにやってきた。泣けて良かった。

#休職 #適応障害 #パワハラ

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