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都市の川沿いを歩く

実家にいたころ、最寄り駅から電車に乗ると数駅先に大きな川があった。
大学や稽古やバイト先どこへ行くにもその川を電車で越えて出かけていた。川を渡る数秒間、視界が開け空が広くなり遠く先まで川が続いている。そのわずかな間に出かけるぞといった気持ちや帰ってきたという安心感など心の切り替えがあったように思う。

いまでも電車で川を渡る時は、顔を上げ外の風景を眺める。その瞬間、なにかを越えて別のどこかへ運ばれるような漠然とした感触がある。

いま住んでいるアパートに引っ越してから、よく隅田川まで歩きに行くようになった。
電車に揺られ川を目指す。
東京で暮らしていると、しぜんと街の密集感の中で過ごす時間が長くなる。すっかり当たり前になってしまった人の多さ、店の多さ、利便性にからだも適応して生活している。
そのからだをもって川沿いに立つと、その突然の大きく開かれた空間に全身で驚く。日々とのコントラストが濃い。
脳の裏側や、肺の隅、背中、萎縮していたからだが川沿に立ち、歩いていく中で解けていく。

とはいえ、遠くに山並みが見え広々と田畑が広がるような地元の風景とは違う。

隅田川沿いは東京の都市の川だ。
同じ東京に流れる多摩川とも随分と雰囲気が違う。見渡す限りコンクリートの建造物で囲まれ、揺れる水と空が広がる。わたしの日常にはない風景、この世ではないような不思議な景色が広がっている。

河川敷は自由な空気が広がっている。ランニングをする人、釣りをする人、ベンチでくつろぐ人、そのコミュニティに混ざる。都市にいるままからだが開かれる。すこし日常から離れたこの感覚が楽しく、また都市で過ごす上で重要なヒントがあるのではないかとも思う。

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