見出し画像

スナフキンママの初めての妊娠備忘録①「妊娠が発覚した時はスペインにいたわけで。」

2020年4月16日。
4日間に渡る促進剤とバルーン(子宮口を開くために入れるもの)を3日間入れ、陣痛でパニックになったところに麻酔の天使が現れ、和痛分娩になったと思ったら7回ほどいきんでポンと産んだ日から、気づけばあっという間に3ヶ月が経とうとしています。

世の中は、コロナという伝染病をきっかけに、地球の大掃除が行われ始め、政治は荒れ、経済も荒れているのに、野に咲く花々はいつもより元気がよく、空の青さも、なんだかいつもよりより青く感じる日々の中で、雨はすごけど、2ヶ月目から長崎は上五島にてなんだか穏やかだなあと感じながら生きています。

生まれてきたばかりの彼女は、生まれた瞬間から産声をあげ、私と目がバッチり合いました。見たことない世界にいきなり放り投げられてさぞびっくりなはずなのですが、なんとなく味わっているというか、じっくり見ているというか、そんな風に見えたのは私だけかもで。

そうして24時間ほぼ一時も離れず暮らしております。不思議な感覚です。ついこの前まで、横ですやすや寝ているこの子は、私のお腹の中にいて、エコーでようやく顔を拝めて「下膨れだねえ」なんてお医者さんと話していたわけで。

さて、今回の備忘録ではどんな妊婦生活を送っていたかを少し書いておこうと思います。1回じゃ書ききれなそうなんで数回に分けて。

「妊娠したの私?」この時いたのはバルセロナ。

2019年9月 妊娠発覚。
スペインはバルセロナにて、アーティストの今田知佐子氏の企画をサポートするために、個展開催に向かって日夜走っておりました。
言葉の通り、いつものワードローブであるノースリーブワンピースをぶん回して。
そんな中、確か滞在2週間目あたり。なんだかやたら体調が悪い。とにかく眠い。そして、何よりも楽しみにしているご飯が喉を通らない。ヨーグルトとバナナは入るのに。なんか変な病気でももらったんだろうか。昼寝をしない私が、昼に寝ないと倒れそうになる。電車に乗っていても貧血?と思うほど眠い。

これはおかしい。

「子供できてたりして!」
チェックリストで調べていくとほぼ該当。。。
ンなわけないやろ。
人生初の妊娠検査薬をスペインにて買って検査。
バルセロナは本当に英語が通じないので、スペイン語でどうにか薬局に伝え、購入。(Prueba de embarazoというらしい。Google先生ありがとう)
やり方もあってるのかわからない中、使ってみてびっくり。

陽性。

その時の感想は「マジか」でした。

親は子宮筋腫やっていて、不妊治療の末に私を産んでいて。
私も卵巣嚢腫奇形腫しかも茎捻転をやっていて(これが結構痛いし、生理の時結構辛い。前段ではチョコレート嚢腫って言われてて、生理のたびに腰が痛い)両方残っているけれどこりゃ不妊家系だなと思っていたし、まさにこのチャレンジ真っ只中の中でそんなことが起こるのかという驚きとが入り混じっていました。

ちょうどスペインに行く前にルームメイトがNetflixのオススメ番組として「ジェーンザバージン」という番組の主人公が私に似てるということで2人で駄々ハマりしていたのですが、妙にそこの主人公のような気持ち。

この個展のテーマが「latit del corazon 心の鼓動」であり、裏テーマが「reborn」。

Chisako氏が長年の自分の人生や介護で立ち会った生死を通して人の生命について向き合ったそのテーマだったのに、まさか自分の「born」になるとは。
なんて思いながら、さてどうしようと。
フリーランスから会社になって2年目。
思ったより面白いフェーズに自分はいると思っていたし、30代になってようやく自分の人生の楽しみ方をわかってきたところ。
自分らしい暮らし方とか、その辺が見えつつある頃。
こんな時に舞い降りて来るこの子を、さあどう迎えられるだろう。

はっきり言って、検査薬使った後はめっちゃ動揺しました。
まだ準備できてない。
そんな時に産んで本当に良いんだろうかと。

だけど、その日chisako氏が話してくれた言葉で、私は腹を括れました。

「私は持病もあるし、もうすぐ40代で赤ちゃんができるかわからない。だからこそ、今ここにきてくれたってことは、ものすごく意味があることだと思うよ。女性として“産める”ってこと自体が何より奇跡で神秘であって、それが尊いと思う。家族がどうとか、自分の準備がどうとかって、実はそんなに大きなことじゃないと思うよ。それに、あなたには家族みたいな人が世界中にいる。それだけでも既にこの子は幸せだと思うよ。あなたみたいな面白いお母さん他にいなそうだしね。この子はともみさんの強い味方になると思う。そんな尊い瞬間に立ち会えて私も嬉しい。」

彼女の伴走をするために来たこの町なのにと思っていたからこそ、きっと何気なく話してくれたこの言葉が、私にとっても勇気をくれました。

彼女と話しながら、休める時には休ませてもらいながら邁進した1ヶ月。ある意味このことで彼女も1人で乗り越えねばならぬ場面も多々あり、キャパ超えしながら足掻いて、2人にとっての挑戦の1ヶ月は終わったのでした。

今思えばこの眠気と匂い悪阻が私の悪阻経験なのかな。
吐いたりは1度もなかったので、それは本当に助かったなあ。

そうして妊娠2ヶ月半頃にようやく帰国。
ドキドキのロングフライトも乗り越え、妊娠3ヶ月目にして初めての検診でのエコーで本当に彼女の姿を確認したのでした。

スペインから日本に戻る時に、果たして妊娠2ヶ月でのフライトにこの子が耐えられるんだろうかととても不安でした。途中帰国も考えたけど、それはそれで不安で。

そんな中、これから始まる妊婦生活とその後の子育て方針ってのをものすご
く考え始めた上で、最初に思ったのはこれでした。

「こどもを理由に勝手に自分の人生を不幸にしない。」
「誰よりも私がこの子を信じる。味方になる。」
「こどもが自分らしく生きれるように、まず私が自分らしく生きる」
*好き放題やるって意味ではなく、自主自律をするという意味での“らしく”

だから、フライトの時も
「私とあなたは大丈夫。一緒に無事帰れるよ。信じてるし信じてね。」
とこっそり声をかけ続けて帰ってきました。
彼女に声をかけながら、自分を応援しながら。
その後の出張でも、それは続いていて。
所有物ではなく、バディというか。苦楽を共にして今に至っている仲間のような感覚で。

その辺はまた次回。続く。

*写真は、1ヶ月貸してくれた友人の家の妊娠発覚日の日めくりカレンダーと使う前の妊娠検査のやつ。

いただいたサポートはより多様な世界の誰かの一歩のために伴走する時の糧にさせていただきます。