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15年と10年と3年と。

何故だか、2019年から2021年に来るまで、今まで以上にあっという間だと感じているのは、やはり妊娠や子育てがあるからだろうか。24時間を自分という人間のためだけに使ってきた中で、誰かとその時間を共有していくわけで、単純に割り算したら12時間しか自分の時間はなくって、そのうち7時間ほど寝てるなら、結果起きている5時間の中で自分のために時間を使っているが、体感としては2時間ほど、なんなら珈琲を飲む時間だけが事実上それなのではないかと振り返ると、ついこの前までそれが24時間だった人間が、急遽そんな人生に変わるのだなと、不思議に思う。

娘が生まれた日はなんならそこに自分の時間などなく、1日の時間を全て新たに生まれる生命体のために使っていた。それはそれは、大事な日だったなと、1年経ってまるでだいぶ前のことのように振り返っている自分のことも、不思議に思う。

1年に365日ある中で、その人にとって大事な日はきっと違う。とはいえ、結局は365日全てが誰かにとって大事な日なわけで、ということは結局毎日は大事な時間なんだろうなと、思う。

私にとって、大事な日はもちろんいくつかあるが、4月25日は特に大事にしている。

この日は、会社の設立日であり、同時に父の命日である。

父が空へ旅に出て以来、早15年。
独立して10年目。
会社が出来て、早3年。

良い機会な気がしたから、ちょっと書いてみようと思う。

父は、別に経営者でもなんでもなかった。そこそこの経歴で、数学の先生の資格もあったので、会社でもすぐ昇進できてしまうマルチプレイヤー。でも、彼はある程度の昇給以上は全て拒否してきて、できるだけ平社員を貫こうとしていた。理由は「人を裁くのではなく、支えたり伴走する側でありたい」からだった。

ある程度の年齢になると、若いOLどもが昇進していかないオジサンを見て、何やら言ってたらしい。化粧は美しくても、真実を知らないって寂しいねって当時思ってた。

正直言って、彼の家庭環境は決していわゆる教科書にあるようなあったかほのぼの金持ち家族ではなかったし、大学ももちろん自分で働いたお金で通い、東京にいた親戚のところへ居候して勤労学生として過ごした。バブル期ではあったけど、比較的華やかではない堅実な会社へ就職。後にできた家族に人生を捧げるような暮らし方をしてきた、昭和を代表する素晴らしい父親だ。人当たりもよく、釣りや日曜大工など、趣味も豊富。威厳はそうだけど、そもそも人として尊敬している。

私の人格や趣味や嗜好は、ほぼ父によって作られたと言っても過言ではなくて。

そんな彼は、ある時事故がきっかけで躁鬱病を発症。
これをきっかけに、私は同世代なんか見ずに、医者になろうと邁進。弟が控えていたので、塾に行くのは辞め(というのもあるけど、塾には当時同級生で恋愛してる〜みたいなのばっかで、そもそも行く気はなかったけれど)毎日ドイツ語を勉強したりしたが、結果私が高3の時、彼は空へ旅立った。

医者になるモチベーションは一気に無くなったし、恋愛の話ばかりの同級生とはいまいち噛み合わず、だから昼間の大学を選ぶのを辞めた。本当は海外に行きたかったけど、大黒柱役になった自分は、母のそばにいねばならぬという義務感で、諦めた。

この経験から、私は当時、社会への不信感がものすごく強かった。理不尽や正義と言いながら、正義同士で争う姿。多数決の原理で決まっていくイロイロ。変わって行かない世界。面白い文化こそ弾圧されていく姿。

とにかく、毎日モヤモヤしていたなあと。

何をしても手応えも感じられず、同じことを話しても20代の自分の声は跳ね除けられる。多分、20代はすごく生き難かった。

でも同時に、自分から前のめりに経験を求めて、業界・国内外いろんな世界を覗いた。それが良かった。知らないことばかり。時間だの条件だのどうでも良く、ただひたすら自分が知りたいことを知りたい分だけ知りに行った。もちろん失敗も大いにある。出会いがあれば別れもある。でもそれをいちいち気にしてられなかった。

何故なら、生きることに必死だったから。

父の死の時、もちろん悲しかったけど、同時に悔しかった。私に身を以て「生死」を教えてきた彼の人間としての大きさを知って、自分の小ささを知って悔しかった。それは、20代、毎年命日に1人で晩酌してきたのだが、年を経ることにその悔しさは増してた。それは、今振り返ると、自分に自信がなかったからだなと、最近ようやく振り返れた。

先を走る人を見ると、どうしても追いつきたくて悔しさが芽生える。でも、そもそも追いつく・追い越すこと自体に意味があったか。これに気づいてから、気楽になった。

そう、彼の生死と自分の存在は、一緒ではないのだ。

それは、今自分が産んだ娘に対しても、同じこと。確かに同じ血を分け合った仲だけど、同志ではあっても、生まれた時点で同じものではない。

生きるも死ぬも、自分の選択であって、それに責任を負うのは自分だ。誰も自分の人生に責任など持っていない。し、そう考えた方が気楽だ。

私が25歳の時、フリーランスになった理由の1つは、「自分の人生に自分で責任を持てる生き方がしたい」と思ったから。それ以上もそれ以下もなくて。人に責任が行くと、面倒なことしか起きない。だから自分の人生くらい自分で責任を取りたかった。

じゃあそんな私が、法人化した理由は?

「そういう生き方をしたい人の伴走がしたいから」

それはある意味では、父へのアンサーソングのような選択で。彼が永遠の伴走・伴奏者であったように、私もそうでありたいし、そういう生き方が自分らしいから。

私は、気楽に生きたい。
宮崎駿氏でいう、鈴木敏夫氏のような生き方でありたい。
気楽というのは、気を抜いてるという意味ではなくて、自分の人生くらい、自分で味わえるような人でありたいし、それくらいで十分だ。

そういう人が増えたら、結局みんなもっと気楽になるんじゃないかな。

上手に生きなくてもいい。
不器用か器用かは、人の判断だ。
自分の人生くらい自分で責任とって、味わって、気楽に生きよう。

自分への備忘録として。


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