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今日の自分は、昨日の自分と違っていい

9月最終日。体調が戻ってきた。最近飲み始めたサプリのおかげか?いや単なる日にちぐすりか。

秋の風は心地よくて、爽快で、人生80年とするならば私はいまちょうど、人生の秋ごろか。

実ったものを収穫し、それを分かち合う時にいるなのだなと、海や風や高い空、流れる景色を見ながら思う。

もう去年までのように、派手にイベントして人前に出ることも、私の人生の一コマとして終幕した感がすごい。今考えるとどうしてあそこまで動けたのだろうか、行政から企業、個人まで、あんなに画策できる行動力があるなら、それだけ原稿を書くことだってできたはずなのに。

人生には、突き動かされるような、そんな時期がきっとある。

振り返ってみるとただの別人でしかないけれど、そのときの自分に学ぶべきことがあると、どこかの自分が知っているから、それをとにかくやっていられたのだと思う。

今日の自分は、昨日の自分と違っていい。どこかの記事で読んだ小泉今日子さんの言葉に、深くうなづき、私もそういう自分を許すのだ。

毎日毎日、こもって駄文を吐き出して、それで楽しいと思っている今は今で、やっぱり書きたい自分に突き動かされているだけのことで。すごくもなければ立派でもなく。

人生の秋に、こうしたい!こうなりたい!なんて願望はカラカラになった心の井戸からはなーんも出てこず、この年代に入って自分を美しくメンテナンスする希望を持つことにさえ、「どっこいしょ」という声があがるようになった。だからこそ美に磨きをかける、大人の女性たちを心から尊敬する。

私は私で、適度に清潔感をたもちつつ、これまでにもらったものを循環させて、子どもたちやそれが必要な人たちと分かち合いたい、という気持ちだけがふくらんでいく。

いい人っぽいが、いや違う。利己的でわがままで、頑固もので、好きなことしかやりたくなくて、嫉妬も妬みも持ち合わせながら、ただそういう想いに突き動かされているだけ。つまんない人間だし、志も低ければ自分がどこへ向かいたいのかよくわからない。

ただぼんやりと、頭に浮かぶ映像のようなものに従って、秋の雲のようにゆらゆらと伸びるように歩いている今は、ただひたすら本を作っていたいのに、もうそこまで来ている来年にはまた違う人生が、開けているのかもしれない。

秋のせいだ。

秋は体も肥えるが思案も膨らむ。もの想いにふけり、ものごとを創造し、自分のやるせなさを嘆き、できることを探す。そのなかからつやつやと実ったものを見返し、磨いて、ほしいなと思ってくれる人に手渡したい。そんなことを考えるだけで、満たされる季節なのだ。

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