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ことばの標本(14)_「出会いが人生のすべてだ」

出会いが人生の全てだ って思った

SUPER BEAVER「名前を呼ぶよ」

映画「東京リベンジャーズ」の主題歌、SUPER BEAVERの「名前を呼ぶよ」の歌詞には、強い言葉が並んでいる。

「知らないことがほとんどの世界で、名前を呼び合っているなんて」って、本当にそうだ。

今ここで名前を知っていて、お互いが誰かわかっているなんて、地球上の出来事で考えたら、ものすごい確率、ものすごい奇跡だ。

巡り合うことの奇跡。

ありふれた言葉ではあるけれど、その奇跡を想像した時、冒頭の言葉が個人的にはとても響いた。

そういえばそうだ。

出会いが、人生を作っている、と。


情報も、体験も、お金も、全て人が運んでくる。先生も、友達も、上司も、いろんなシーンでの特別でもない出会いが、人生を作っている。

よく、「付き合う人は選びなさい!」なんていう大人いたけれど、実際、付き合う人は選べるけど、出会う人は選べるのかな?

とも思った。

そこに住んでいたから通った学校。たまたま面接受かっていくことになった会社。娘のママ友。夫の家族。アパートの隣人。

出会う人は、あんまり選べないかもしれない(笑)。

でも、選べないからこそ、<人生を創造する>と言えるのかもしれない。

偶然すらも「選んでいる」と思ってみたら、もっと自分の人生に責任を持って取り組めるのかもしれない。

たまたま入社した会社の上司が自分にめっちゃ冷たかった、ではなく、そこに入社した自分がすでに冷たくされることを選んでいた、などと解釈していくと、

自分の人生はとんでもなく「自由」をえる気がする。
それが嫌なら、手放せばいいから。

誰かのせいにしているうちに、人生は終わる。


高校時代にバスケ部で出会った、今でも唯一連絡を取り合う親友とは、卒業後も旅をしたり、失恋話で盛り上がったり、最近は一緒に会社作ろうよ、みたいな話にもなっている(笑)。

大学院時代の恩師には、ゼミとは全く関係ない映画や小説についてを、深夜1時ごろの研究室で話し込み(今考えると、結構ギリギリの親密さだったが笑)、先生と出会っていなかったら、東京に出ようと思ってはいないだろうと思う。

張くんとの出会いはもはや事故だと思ったが、今すぐにでも離婚してやる!勢いの時もあれば、この人がいなくては生きていけない状態の時もあり、日中を超えて、言葉を超えて、自分の可能性をあらゆる意味で引き伸ばしてくれる。

同世代の働くお母さんたちとの出会い、市役所の人やクリエイターたちとの出会い、オンラインが主流になってからは、大阪やら中国やらまだリアルには会ったことがないけれどやりとりがある友人、知人との出会い。

そのどれもが、私の人生の中に現れ、交信したあとは、単純に、出会う前の私の人生にはもう戻れない。


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