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90年代カルチャーと鬱の夜明け

音楽に魅せられたのか、言葉に魅せられたのか、わからない。けれども、私はオザケンの歌が好きだった。もちろん、小沢健二様を真面目にリスペクトしている人たちからすると、ただのにわかファンに過ぎない浅さですのですみません。

それでも、オザケンは、田舎で学生生活を悶々と送る、冴えない私の青春、憧れ、マブダチだった(カリスマに失礼)。

渋カジとかよくわかんないけれども、オザケンは松山のロープウェイ街で口ずさんでも気分が上がった。「今夜はブギーバック」なんてあんな陰湿なメロディ(失礼2)でも、昼間っから「神様がくれた甘い甘いミルクアンドハニー」なんて歌ったら、ちんちん電車もダンスフロアだったぜ。若いって奇跡。

熱狂の背景に、当時の王子キャラ?のせいもあったのかもしれない。けれども私はご本人より、オザケンの旋律と言葉が好きだった。感情を昂らせるそれらよりも、流行りを作ろうと狙った何かよりも、じわじわボディブローみたいにきいてくる何か。若者が熱狂したカリスマ、ってことになっているけど、オザケンは、私にとってはですけれど、圧倒的な「幸福感」を、詩と音楽にしてくれた人なんだな。

幸せだ!って叫ぶんじゃない方法で。「でっかい黒い犬でも飼ってさ」とか「君にいっつも電話をかけて眠りたい」とかいうことで。恋に恋する世代であったこともアレするかしら、それにしても王道の『LIFE』はいつでも好きですが、密かに自分の結婚式(中国、しかも旧ヤマトホテル)で会場に流そうとしたのは『犬は吠えるがキャラバンは進む』から「天使たちのシーン」です。中国的接続不良で聞こえなかったけど。よって、アルバムタイトルの意味通り「進行を阻むほどの力が働こうとも、人生や自分のやるべきことは続いてゆく」(中東アジアの諺とかなんとかby wiki先生)。

ここ数日、ホルモンバランスの乱れによって、しばらく暴風雨に耐えながら穴に潜って体操座りしていたんだけれど、あれ私鬱なんですかね、いや躁鬱ですかね、まあとにかく落ち込んでいて、そしたら急にオザケンが聴きたくなって、「あ、(うつが)終わったな」と思ったんですよね。

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