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ことばの標本(16)_「民衆の利益のために王となる」

王というものは 自分の栄光のために支配者となるのではなく 民衆の利益のために王となることを教わりました

『キン肉マン』第36巻「キン肉マンよ永遠に…!」より


ものすごく難しい哲学書みたいだった!

全36巻をやっと読み終えた、感想はこれにつきる。

プロレスの知識がクラッシュギャル以降更新されておらず、技の仕組み、ルールなどほとんどわからないまま。

途中で間延びして、キン肉マンがなぜあんなに爆発的な人気を誇ったのか、わからなくなりそうだったけれど、

「キン肉マン」という作品の凄みだけは、プロレスのこと全然わからない私にも、ビシビシと伝わってきた。


リーグ戦の背景や超人たちの技、やられたりやりかえしたりの原理……、

細かな設定と入念な下調べ、ただのギャグ漫画だと思いこんでいたけれど、

繰り出す技の情報量と根拠の厚みが、ゼンッゼン違った。


最終巻は、ギャグの一つも出てこず、もはや帝王学みたいなものではないかと驚かされる。

キン肉星の大王を決める試合で、自分とは対極にある、貧しく、嫉妬と妬み、孤独を知り尽くしたフェニックスを打倒したキン肉マン。

大王であることが認められ、試合を見守っていた神々に向かってキン肉マンに言わしめた

”民衆の利益のために王となる”

という、このセリフ。
最後の最後、このくだりを読んだとき、鳥肌が経った。

ただ勝利を勝ち取れ!とか、勝つことが美しい!とか、そういうことを言いたがっていた80年代の大人が引っ張っていた社会通念とは、一線を画すような気がする。

きっと、作者が、世界中のあらゆる伝説や遺跡などを調べまくり、いつしか作者として、キン肉マンたちを生み出した<神の視点>に到達したからこそ出てきたセリフなのだろうなと感じた。

ビビンバの顔がフェイスフラッシュで復活するあたりとか、所々に今となっては受け入れにくい描写を感じもしたけれど、当時の認識としては限界でしょう。

死んでも死んでも生き返る謎、やや無理のある設定、試合のたびに血と汗と涙を流し続けるキン肉マンとその仲間たち。

リアリティには欠けるが、この漫画がどんどん勢いを増し、80年代の男子たちの心を鷲掴みにしながら撒かれたタネはきっと、

親になった私たちの中に育ち、きっと今の子どもたちに、何か受け継がれているものがあるんだろうな。

「勝つ」ことが全てではない、と、それ以外の価値観にも目を向け、その間でがいてきた、というかね。

キン肉マンが、これほど厚みのある漫画とは知らず、冷ややかに見ていたあの頃の女子は、一体何を読んでいたのか、今さらながら気になる。

そして、昨年爆発的すぎるヒットとなった「鬼滅の刃」を見て育った今の子どもたちにはどんなタネがまかれたんだろうな、ということも。



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