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【妊娠日記】36歳の365日を振り返って|予定日まであと12days

7月24日は、私にとって36歳最後の日だ。明日になったらひとつ歳を重ねて、37歳になるらしい。

昨年までは、年齢に抗いたい気持ちが拭えなくって、どうにか認めない方向性で生きたかった気がしていたけど、今年は誕生日自体がもはや自分にとっての一大イベントではない気持ち。

もう今年は十分に幸せすぎるほど、すでにギフトをもらっているから。だからなんだか、誕生日、という存在が、まるで他人事みたいな心持ち。

たとえば、妊娠の継続、事実婚だった夫との話し合いの末の納得できる結論での法律婚、予定通りにいけば37歳の誕生日を過ぎた頃に子の誕生、人生の夢だったライカの購入。おまけにこの週末は、「少し早いけど」と車で里帰り先まで臨月の様子を見に来てくれた夫が、しばらく欲しいな〜と悩んでいたMOTHER HOUSEのイエローのミニ財布をそっと手渡してくれたこと、とか。

相変わらず後厄の今年ではあるけれど。この数年続いていた心の底から欲しい未来は、「子どものいる人生」だったから、それが私の腹でいま実現に向かって順調に進んでくれているらしいことが、嬉しい。ただひたすらに嬉しくって、ありがたいことなのだった。だから、明日の誕生日はおいしいランチをして、ついでに好きなシュークリームを買いに行って、両親と一緒に夫がくれた美味しそうなノンアルティースパークリングを飲む、でささやかに過ごしましょうか。

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でも、ふと思い立って、「去年の今頃って何をしてたんだっけなぁ」とGoogleカレンダーを見返す。

昨年の誕生日は、夫と過ごした。これからも一緒に生きようと決めて、けれどまだ事実婚の手続きをする、何か書類を出すという話にまでは至っておらず、私は「指輪が欲しいな」と言って、彼も「そう思ってた」と言って、ブランドを決めてセミオーダーして、2人でただ1つだけ指輪を買った。あなたはいらないの?と聞いたけど、アクセサリーをつけない人だから、いらないと。まぁそれもいいか、と思って、その分私の指輪の石を増やしてもらった(笑)。

彼には、メガネか何か、事実婚の始まりの記念になるものを贈りたいな、と思っているのだけれど、1年後の今日に至るまで、とくに決めずに生きてしまった。反省。何か一生使えるものを贈りたいな。何がいいかな。

と思ったら、その翌日には私は沖縄に旅立っていたらしい。

ちょうど7月24日はオンラインの那覇市の起業セミナーを受けていて、8月の起業に向けて準備をしていた時期だった。撮影の仕事も少しあったみたい。

そして東京に戻って、また沖縄に行って、合間に美容の予約をたっぷり入れて、撮影して動画を編集して、編集者の仕事をして原稿を書いて、登壇して自主企画の仕事も進めて、起業をして手続きして、間髪入れず息切れしながらスペイン政府観光局の旅行PRの仕事のために国際線に飛び乗っていた。

ポルトガルに渡ってトルコを経由して帰国して、沖縄とスペインの旅先の仕事を出張しながら納品して、次なるハワイ観光局の仕事のために再び国際線に。

帰国して仕事をしながら、友人に声をかけてもらったマルシェ主催の企画を楽しみ、友人の結婚式に参列させてもらいつつ仕事をこなし猫を撫で、ふぅ、と思いながら北海道や沖縄の次なる移動の仕事のことを考えていたら、生理が来ない気配に気がついて検査薬を購入し、晴れて(?)つわりの日々に入ってすべての出張に行けなくなってベッドにいる日々が始まった。

こうやってスケジュールを簡単にでも見返していると、自分のことながら「この人は本当に忙しない日々を送っていたなぁ」とやっぱり他人事のように思う。別の人みたいだ。

隙間があれば予定は入れられると思っていたし、実際にそれをやり過ぎて倒れたことも2度ほどあったけど、それでもやっぱり移動も仕事もプライベートの充実も追いたかったし、何か空虚さは感じていたけど、動かないとやっていられなかったみたい。

けれど本当に欲しいものは、さきほど述べたことだ、と自覚していたから。
不妊治療をしないと決めた私たち。自然に任せると言いながら、任せられるかどうかは、私のスケジュール次第=私が自宅に居られるか、みたいなところがあったから、そこだけは調整して生きていた。

そうだ、昨年はまだ子宮内膜症の不安も少し残っていて、気にしながら生きていた記憶もある。よかったねぇ、1年後の今日、お腹の子の胎動に言葉にできない幸せをもらいながら、里帰りして穏やかな時間もプレゼントしてもらえていて。

私個人の銀行残高は、この数ヶ月で多分目を見張るほど減っているだろうけど(!)、お金はまた未来の私に稼いでもらおう。あとは投資にももう少し回しておこう。

この1年間で、なんというかな、私の時間の使い方はきっとガラリと変わる準備をしていた。

それを盛大に不安に感じる部分は正直大きいけれど、こんなに焦がれている子育てが目の前で待っているのなら。楽しんでいいんじゃないか、全力を注いでみることを自分に許してあげてもいいんじゃないか。

だってその時間はもう永遠に帰ってこない。取り戻せないものなのだから、という気持ちの箱が、目の前にあることに気づいている。

私自身の仕事の理想と、私が母として歩む時間の折り合いは、どうやってつけるのが正解なのか。わからない。これは、世界中の先輩方に指南を仰ぎたい目下の課題。やるしかないのだろうな、ということだけはなんとなくわかるのだけど。

37歳、明日からの365日は、私にとって、そして産まれてくる息子にとって、どういう日々になるのだろう。誕生日に自分以外の存在が真っ先に浮かび上がってくるのは、初めてな気がした、今。

私という構成要素が、変わっているのを感じる。これがもしかして、母性というやつですか。

週末に、実家の前に広がる田んぼ道を車を走らせ帰る夫に手を振りながら、このひととこれからの人生を歩めることが、私本当に嬉しいな、と思った。37歳、新しい1年がやってくる。

陣痛は来なかったねぇ。

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子どもが産まれるまでの特別な日々を忘れないために

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