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「いつものおやつ」ができるまで

最近急激にはまったことがある。おやつづくりだ。きっかけは、なかしましほさんが「らくちんアップルパイ」のレシピツイートを目にしたことだった。

わずか1ツイートに、アップルパイのレシピがおさまっている。パイといえば、作るのが面倒なお菓子の代名詞だ。あのサクサクのパイ生地を作るためには、何度も生地を折り畳む作業が必要で、手間も時間もかかる。アップルパイなんて、「世界一面倒」の代名詞だといってもいい。その作り方が、こんなに短い文章におさまるなんて。

しかし、「らくちん」とはいっても、それは比較の問題で、やはり面倒なことに変わりはないのだろう。最初はそう思ってつくる気にならなかった。だけど、見た目の美しさに惹かれて、NHKのサイトにある『なかしましほのおやつですよ♪らくちんアップルパイ♪』でこのレシピをつくっている動画を見てみたのだ。そうしたら、作業の全工程が、たった2分45秒の動画にまとまっていた。待機時間は長いが、作業自体は本当に「らくちん」だった。

これは、つくるしかない。そうして初めて挑戦したアップルパイは、あっけないくらいに簡単に完成してしまった。

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パイ生地は材料を混ぜて伸ばすだけ。折り畳む作業をしていないのに、パイ生地らしく「サクッ」とした食感だ。なかしまさんのツイートによると、生地に油脂が多めで糖分が入らないことで、パイのような層になるらしい。リンゴの部分は切って並べて、砂糖とシナモンをかけるだけ。それなのに、なぜか「アップルパイのリンゴ」の味がする。

このレシピは衝撃的なだった。「アップルパイ」自体をデザインし直している。そして、それによって「お菓子づくり」という非日常の体験を、毎日できる「おやつづくり」に変えてしまっている。それまで私は、「お菓子づくり」というのは、気合を入れて、ちょっと大変な思いをしながらやるものだと思っていた。このアップルパイは、もっと日常的に焼けるレシピで、毎日焼ける「おやつ」と呼ぶにふさわしい。まさに「おやつですよ♪」と言う気軽さでつくることができる。

あまりの感動に、すぐになかしまさんが店主を務めるfood mood(ごはんのようなおやつの店フードムード)からクッキーボックスを取り寄せて、レシピ本を買い漁った。そうして、おやつづくりの日々が始まった。

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つくる、くらべる、たべる

本を買ってすぐ気づいたことがある。店で買ったクッキーと、まったく同じクッキーのレシピが載っているのだ。インターネット上で無料公開されているレシピも多数あり、どうやらそれも店で出しているものと同じものがあるらしい。せっかく「見本」が手元にあるのだから、同じクッキーを焼いてみたい。まずは「黒ごまスティック」に挑戦した。

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▲(上)food moodの黒ごまスティック、(左)5歳の娘がつくったもの、(右)私がつくったもの(2回目)

なかしまさんのレシピはどれもシンプルだ。多くのクッキーは、粉類を手で混ぜてふわっとさせる、菜種油を加えて全体に行き渡らせる、水を加えて生地をまとめる、整形して焼く、という工程でできあがる。この黒ごまスティックは慣れればオーブンまで10分程度だ。普通のお菓子づくりだったら途中で挫折してしまう娘でも、一人で生地ができたくらいだ。

ボウル一つでできて、バターの代わりに菜種油を使っているから、後片付けも簡単だ。あまりに手軽にできるので、黒ごまスティックは同じ日に3回も焼いてしまった。

シンプルなレシピだからこそ、つくった人の個性がよく出る。私が最初に焼いたものは厚すぎてサクッとした食感にならなかった。厚みが調整できた2回目のほうが、黒ごまの香りがよく出ていた。私が全工程を監督していても、娘がつくった生地は別の味がする。同じ分量のはずなのに甘さを強く感じて、焼き色がよかった。そしてどれも、店で買ったものとはちょっとずつ違う。

レシピを見ながらつくったクッキーと、店のクッキーを比べて、初めて理解できたこともある。チョコとココナッツのクッキーには、大さじで生地をすくい、親指ですりきり、人さし指と中指で押して厚みをつぶすという工程がある。初めてつくったとき、うまく「親指ですりきる」ことができなかった。どの程度きれいにすりきるのか、きれいにするために力を入れていいのか、加減がわからない。そして、「人さし指と中指で押す」とは、はたして。

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▲(左)food moodのチョコとココナッツのクッキー、私がつくったクッキー

できあがりを見比べれば一目瞭然だ。もっとちゃんとすりきったほうが良い。それから、自分のクッキーが焼き上がってみて初めて、この形の意味に気づいた。店で買ったクッキーがちょんと尖っているのは、指のすきまのあとなのだ。試しに自分の2本指をそっとそわせてみると、ぴたっと重なった。「人さし指と中指で押す」とは、この形のとおりに押すことだったのだ。

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▲(上)food moodのクッキー、(左)娘がつくったクッキー、(右)私がつくったクッキー(2回目)

試行錯誤しながら何度も焼いていると、毎回違った発見がある。今日は少し長めに粉を混ぜてみようか、油を入れた後の手つきを変えてみよう、オーブンの焼き時間を短くしてみよう。そうして少しずつ、味を決めていく。クッキーは少しずつ、我が家の味になっていく。

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▲(左)food moodで買ったピーナッツバタークッキー、(右)私がつくったクッキー(2回目)。店のような「ほろっ」とした食感にする方法は、まだわからない。

「いつものおやつ」を目指して

まいにち食べたい“ごはんのような”クッキーとクラッカーの本』で、なかしまさんは東日本大震災のときに感じた葛藤を明かしていた。震災のなか、生きていくために絶対に必要なわけではないお菓子をつくっていてよいのか悩んだのだという。しかし、家に残っていた粉と油で焼いたクッキーで家の中が明るくなったという人、たくさんクッキーを焼いて避難所に届けたという人の話を聞いて、おやつをつくるというかけがえのない時間を愛おしく思ったのだそうだ。

私にも似たような経験があった。2018年に北海道胆振東部地震が起きたとき、私は札幌にある夫の実家に滞在していた。家が激しく揺れ、近所の木が倒れ、電気は止まり、スーパーから食糧がなくなった。地震発生翌日の昼ごろ、ふと電気ついた。いつまた停電するのかわからない。そのとき、私は唯一暗記していたレシピで、スコーンを焼いた。義実家に行くたびにつくり、何度もみんなの朝ごはんになり、おやつになってきたスコーンだった。生地をつくり、オーブンに入れている間にまた生地をつくり、焼き上がったスコーンをとりだして、また次のスコーンを焼いた。みんなのごはんになり、おやつになるスコーンは、無事にたくさん焼き上がった。

いざというときに、日常を取り戻してくれるのは、よそゆきのお菓子ではなく、繰り返しつくる、いつものおやつなのだ。すばやく、手軽に、いつも家にある材料で。あのとき私のことを助けてくれたスコーンのように、今私がつくっているのは、ある日誰かを助けてきた、これから誰かを助けるクッキーかもしれない。いつか我が家の「いつものおやつ」になるかもしれないクッキーを焼くとき、そんなつながりを、まるごと愛おしく思うのである。

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