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楽しいことが、好きだ。

「不要不急の外出を控えてください」

今ではすっかり耳慣れたこのフレーズを最初に聞いたとき、私は言いようのない居心地の悪さを感じていた。

外出自粛が叫ばれ始めたころ、私はフリーランスとして働いていた。平日は子供を保育園に預けて自宅で仕事をし、土日は夫と交代で子供の面倒を見るか仕事を進めるかという生活だ。自粛要請が出たところで、ほとんど外出する機会のない私の生活が変わるとは思えなかった。

しかし、「不要不急」というフレーズだけが妙にひっかかっていた。なぜこんな呼びかけがされているのだろう。世間の人々は、そんなにも日常的に「不要不急」の外出をしているのだろうか。きっと、しているのだろう。そうでなければ、あえて自粛の呼びかけなどされるはずがない。

そもそも「不要不急」とはどういう意味なのだろうか。『広辞苑』によれば、「不要不急」とは「どうしても必要というわけでもなく、急いでする必要もないこと」である。これを知って、私は考え込んでしまった。「どうしても急いでする必要がある」ことなど、人生にあるのだろうか。極端なことをいえば、ただ生きるためであれば、ほとんどのことは必要ない。もっと突き詰めれば、生命活動の維持ですら、絶対的な価値観とはいえない。もはや、生きること自体が不要不急の塊みたいなものではないか。

振り返ると、私はずいぶん長い間、「不要不急」のことをしないように心がけてきたように思う。時間を無駄にしてはいけない。なにか役に立つことに時間を使わなければいけない。特に子供が生まれてからは、そういう意識に拍車がかかっていったように思う。いつからか、自分のために時間やお金を使ったり、ただ楽しいだけのことをしようとしたりすると、罪悪感を感じるようになっていた。

だから、そういうことをするためには言い訳が必要だった。夫が「靴下が欲しい」と言えば毛糸と編み針を取り出し、娘が「水族館に行きたい」と言えば電車に乗り、友人に誘われれば料理のおいしいカフェで食事をした。全部、かつて私が「不要だ」と切り捨ててしまったことばかりだ。本当はただ私がやりたいことだった。でも、誰かが望んでいるからという理由がなければ、私は自分を楽しませる活動ができなくなっていた。

自分の人生から「不要不急」を締め出して、捻出した時間で役に立つことをする。そのはずだったのだが、いざなにをしてきたのかと考えると思い出せなかった。時間はいつ間にか消えてしまっていて、楽しいことを我慢して、人の望むことをしているだけの私しか残っていなかった。そのことに気づいて、背筋が寒くなった。

自分が好きなことを自分のために楽しんでいたのは、いつまでだっただろうか。学生時代、吹奏楽部でクラリネットを練習していたときは、楽しいことに正直だった気がする。私は青春のすべてを音楽に賭けていた。長期休暇を含めて部活の練習は週に6回、練習がない日は自宅でも自主練を重ね、年に一度しかないコンクールに備えていた。まぶしいほどの純粋さで、恥ずかしげもなく一生懸命だった。大会で金賞が取りたい。そのために少しでもうまくなりたい。だから練習する。そこになんの迷いもなかった。楽器は私の日課であり、生活の一部だった。自分はこのまま一生毎日楽器を練習し続けるのだろうと、信じて疑わなかった。

しかし、あるとき、ふと思ってしまった。私はプロになるわけではない。それなのに、どうしてこんなにも一生懸命練習しているのだろう、と。将来なんの役にも立たないかもしれない。いつかやめてしまうなら、今まで楽器に費やした時間もすべて無駄なのかもしれない。練習に意味なんてないのなら、早くやめてしまって、他のもっと役に立つことをしたほうがいいのではないか。

こんなふうに考えはじめてしまうと、練習することが息苦しくなった。明確に「楽器をやめよう」と決められはしなかった。ただ、なんとなく、いつのまにか、楽器からも音楽からも遠ざかってしまった。

けれど、楽器の練習は、本当に私の人生に不要だったのだろうか。すべては無駄だったのだろうか。「不要不急の外出が自粛されるなかでも許される外出とはなにか」という問いは、気づけば私のなかで「人生でどんな不要不急をやりたいのか」に変換されていた。

やっぱり私は楽器が練習したい。少しでもうまくなりたい。なんの役に立たなくても、クラリネットが吹きたかった。

何年かぶりに楽器ケースを開けた。腕はすっかり鈍ってしまっていたけれど、無心に上達のことだけを考えて練習する時間は心地よかった。自分の楽しみのためだけに、自分の時間を使えている。そんな感覚を取り戻していた。

本当はずっとやってみたかったことを、やってみよう。そう思い立って、手始めに美容院を予約した。髪を染めるのって、なんだか大人っぽいじゃないか、という思春期の子供のような動機で、生まれて初めてカラーを入れた。結局、たいして色は変わらなかったのだけど、自分の手入れをしているという感覚は、思っていた以上に気持ちのいいものだった。

美容院からの帰りに、意味もなくカフェに寄りたくなった。家でコーヒーを飲んだ方が安上がりだし、仕事も残っている。いつもだったら間違いなくまっすぐ帰る。だけど、やってみたいだけのことをやると決めたのだ。大げさなくらいの決意をして、普段は絶対に頼まない、甘ったるいコーヒーを注文した。ガラス窓に映る整った髪を愛でながら、ソファに座る。悪くない。

ちびちびとコーヒーを飲みながら、紅葉色のペンダントライトを見つめているうちに、急に思い立った。吹奏楽部の同級生に会いたい。思い浮かんだのは、部活で毎日のように顔を合わせ、何をするにも一緒だった友人の顔だった。もう10年以上の付き合いになるというのに、同窓会以外で顔を合わせていない。約束して会おうと考えたことも、個別に連絡を取ろうと思いついたことさえなかった。このときまで、私はこの友情が失くしたくないほど大事なものなのだと気づいてすらいなかったのだ。同窓会の記録をさかのぼり、同じグループLINEにその友人がいるのを見つけた。

連絡をしても良いものだろうか。コーヒーがなくなるまで目いっぱい悩んでから、私は食事に誘うための、できるだけ素っ気ない、まるで期待なんてしていない風を装った短いメッセージを送った。ほどなくして、昔と同じ気やすさの、短くて素っ気ないメッセージが返ってきた。初デートの約束でも取り付けたかのように、私はときめいていた。

数週間後、友人と会って話したのは、ほんの数時間のことだ。他愛もない会話ばかりで、なにを話したのか、もう思い出せもしない。しかし、自分の意思で縁をつなぎ直せたことが、誇らしかった。

そして、私の心は再び学生時代に戻る。ああ、あの頃は本当に無駄なことばかりしていたな。銀杏並木をのぼって通った校舎。毎回の合奏の始まりを告げる一曲。練習後に行った駅前のミスタードーナツ。取り立ての免許で行った卒業旅行。くだらないこともいっぱいしたし、どうでもいいことで大真面目に悩んで、何時間も話し込んで、なにもかもに必死だった。なんて役に立たなくて、愛おしい日々なのだろう。

人生で起こることの多くは、やはりきっと無駄なのだろう。でも、私はこれから、そんな必要でも緊急でもないことを、丸ごと愛していける気がしている。


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