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「イタリアの陶芸家の話」1992年8月24日の日記と、三島喜美代先生の訃報を知る。

8月19日より、ファエンツェ市の陶芸学校の先生、ジョバンニ・チマッティを招いて展覧会を開いている。

彼は、イタリア語しか話せないイタリア人の陶芸家。43歳の長身、やや額が広い男性。

画廊、〇〇のNさんは、フランス語が堪能で、イタリア語と似ているのか、なんとかコミュニケーションをとってくれた。
彼は、1ヶ月、ある田舎町に滞在。拾いものの自転車をあてがわれ、身動きをとっている。
展覧会の始まる前までは、京都の陶芸家の方が通訳して、なんとか意思疎通できたが。
今は、その彼もいない。

 イタリアでは、陶芸学校の先生、その学校には多くの日本人が学んでいるという。入学するのは難しいかと、聞くと、実技、デッサンとあるが、日本からの推薦状があればたやすく入れるそうだ。

日本の食べ物について
 日本では、砂糖を生産しているところをあまり見ないが、あらゆる食べ物に砂糖が使われていると言う。
 イタリアでは、逆に砂糖を生産しているところはたやすく目にするが、それほどまでに使われていない。

彼は、寿司は嫌いという。
イカとタコは食べるが、生で食べる日本人の気が知れない。

ある日、拾い物の自転車のチェーンが壊れ、時は日曜日だから、「私の身動きは不自由するだろう」と、心配していたが、日本は、日曜日でも休みはない。営業している自転車屋はあるものだ。そして修理に出してもらう。

象嵌技法とは(彼の作風)
 1200℃で、生地を焼いてそれに、竹ナイフみたいなもので、ひっかきその上に、色をつける。そしてそれを薄く削り、更に色をつけて、300℃で焼く。茶碗とかお皿を焼くのではなく、小さなオブジェを焼いた。


日本の土は、粘りっこい、成形するには作りやすいが、あとが困難という。逆にイタリアは、その逆という。おそらく、焼成後の伸縮する度合いの違いではないだろうか。それか、ひび割れやすいとか。

ろくろ大会をある日やったという。
イタリアのろくろは、左回し、日本人は悪戦苦闘。(イタリアでの話)

                       1992年8月24日


タイトルの新聞の紙面柄のシルクスクリーンを使ったレンガのような焼き物の写真は、三島喜美代先生のもので、懐かしく、使わせていただきました。
(三島先生は、2024年6月19日、91歳にてお亡くなりになられ、思いがけない訃報を、この記事を書いていて知りました。ご冥福をお祈り申し上げます。が〜ん、だんだん、頭が真っ白になってきた、三島先生のお元気な姿を今でも忘れません。私は、ただ、陶芸展の受付をやっていただけなのに、なぜだろう?あのシルクスクリーンを使った、ゴミ、情報で溢れた世界観をオブジェにされていた。細い体で、パワフルだったなあと。ため息が出て、PCをパタンと閉じた。)
                         2024年6月30日

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