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実家の休耕田の一部が、太陽光発電パネルの設置化されるようです。
オヤジが亡くなった際、実家の家を含む庭、竹藪、その他休耕田の土地の相続を、姉が引き継ぎ。
姉の家に隣接していた田んぼは、畑作用として、野菜、柚の木を植えたりして、姉が管理している。
うちは、自分で言うのもなんですが、昔から、豊かでない小さなお百姓さんでしたので、田んぼもあちこち点在しています。
で、今年になって、太陽光発電の業者の話があり、隣接している、休耕田の持ち主の合意があり、太陽光発電パネルを設置することになった。業者に、土地を売ったと言うことです。
先日の、朝の実家までの徒歩で、休耕田の草が、綺麗に刈り取られて、昔の農作業の面影が蘇ってきた。
あの道に、軽トラを停めて、あの畦道の傍で、農作業の休憩タイムには、水筒にお茶、湯呑み、おやつを入れた籠を置いて、・・。懐かしく思いました。
姉にその話をすると、
「なんか、楽しかったね、農作業も・・」
「お昼時には、味ご飯の入ったお櫃と、ご飯茶碗を持ち込んで、外で、みんなで、食事をしたり・・」
「稲のハザかけの時には、焚き火をして、米の爆ぜたものを摘んで食べたり・・」
そんなことをしんみりと言う。
やはり、姉は姉で、2学年違うだけだけど、さすが、御櫃ごとのご飯の記憶は私にはないのである。
私の記憶は、やたら、オヤツの思い出。手作りおやつを、母が仕切りに作っていたり、普段食べられないビスケットが出たこと。カエルと遊んだことしか記憶にない。米を爆ぜたものを摘んで食べるのは、好きだったことは、同じであった。
姉妹と言えども、小さい時から、自分の世界に閉じこもって、農作業の手伝いの話のなかで、私の記憶には、姉は存在しないから不思議なのだ。
姉は、お勉強がよくできて、お友達と、遊びに出かけたり。大人になってからは、お役人という仕事柄、仕事重視で、いつも、私ばかり、手伝っていたような記憶です。山にも行きたいし、下ということもあり、昔から、「定吉」扱いされ、オヤジに、酷使されたような。
仕方がありませんね、たいした仕事に付きませんでしたし、(本当は、どんな仕事でも、大変なのに)。
姉から、「御櫃丸ごと持ち出し」の話は、唯一の宝だった。
おわり
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