母の大好物、「いなり寿司」。
今日のお昼は、ベルマートで、お稲荷さん4個入り、188円。
自分が食べるつもりであった。
徒歩の途中のドラッグストアで、必要なものだけ買って、自分は、106円のカップ焼きそばで。母、「お稲荷さん、食べたい」と絶対言い出すから。
ドラッグストアの買い物で、「母、稲荷、母、稲荷」と気がついた。
実家に着くと、母、トイレ。
最近は、霞化して、忍者のようにヒソっと現れ、ヒソっと何処かへ。
で、テーブルにお昼の、お稲荷さんを出す。
母、喜ぶ。仏壇にお供えして、喜びを爺さんと分かち合っているようだ。
お稲荷さんは、市販品の物の方が好きみたい。ご飯の量と、油揚げの味付けのバランスがいいからかもしれない。
姉ちゃんの手作りお稲荷さんも美味しいが、ご飯をパンパンに詰め込んで、ひとつで、お腹いっぱいになるぐらい。
12時のチャイムと、同時にお稲荷タイム。
「おばあさん、全部食べてもいいよ」
「じゃあ、3個」
「一つは、あんた!」
「ちょうど、良かった、お昼にご飯炊かなくてもすんだ・・」
母、「お稲荷さん」大好物である。
その後、こそっとブラックな話を聞く。
国民皆保険になったのは、ちょうど私が生まれた1961年の話。
「窯グレ、窯グレ」って、地場産業を悲観的に揶揄する理由がわかった。
国民皆保険の最初の頃、行政もしっかりしておらず、小さな窯焼きやさんでは、人を雇っていたとしても、お家の都合で、お給料の支払いが先延ばしとか。もちろん、保険は未加入。
祖母の場合は、ひいお爺さんが養子で、そこの窯どこで働いていたが・・。
祖母は、夫を戦争で亡くしているものだから、微々たる遺族年金。
祖母は、本当は保険に入れるのに、窯どこの人が、こやつには、必要ないと。
で、祖母のお友達は、保険の加入が認められ、悔しい思いをしたにもかかわらず、黙って、あっちこっちの窯どこのお手伝い。
少し、お金が入るようになって、全国あっちこっちと、そのうさ腹しか、お友達と、好きなように旅行に行ったとさ。
まあ、「稲荷寿司」で、そんな昔のお小言を話してくれた。
で、うちが貧乏なのも、小作農だったし、保険加入も権利はあっても、その手続きをしてもらえなかった時代を過ごした。つまりは、損な家なのである。
姉が、「公務員」って、親父が胸を張って言っていた気持ちもわかる。公務員以外の職業、地場産業系は、「ダメダメ」。だから、私のことは、ほとんど口に出さなかったようだ。
だから、キオスクの、たった4個のお稲荷さんでも、仏壇に供えてからいただくのである。
午後の草取り、黒に青の帯をつけた、瑠璃たては蝶が、飛び方を練習するかのように、ゆっくりフワフワ、波を描くように飛んでいた。