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愛される家

以前に住んでいたマンションには言葉にできないほどの愛着があった。そのマンションは有名な建築家による設計で、受賞歴もあった。けれどもそんなことは関係なく、純粋なひと目ぼれだった。だが初めて内見に行った時に空いていた部屋はピンと来ず、見送った。

結局、その後8ヶ月に渡り家探しをすることになった。早々に、ネットの情報だけで見る価値があるか、ないかはわかるようにはなった。いわゆるデザイナーズ物件を多く見て回った。

私にはうまく言葉にできないこだわりがあり、不動産屋さんに呆れられたり、見放されたりした。「この物件が気に入らないのなら、あなたのお眼鏡にかなう物件は都内にはありませんよ」とも言われた。挙句の果てには不動産屋さんより私の方が、主要なデザイナーズ物件を多くみている状態になって、一目置かれたりもした。

そんな中、唯一私を見捨てなかった不動産屋さんがいた。私が「完璧な物件なんて無いって言われたんですよ。こだわりすぎない方がいいですよね。」と伝えると、「完璧な物件はあります。僕は見つけましたから。」と言ってくれた。

そうこうしているうちに、住んでみたい街に、好きな建築家の新築の家が建った。希望に溢れて内見に行ったが、結果は空振りだった。光が足りなかったのだ。疲れ果ててふと思い出したのが、一番最初に見た一目惚れした物件だった。帰りの電車で検索してみると、最上階の角部屋が空いていた。予算を遥か上回る額だったけれど、その瞬間に心は決まった。そして物件の担当は私を見捨てなかった唯一の不動産屋さんだった。

住んでみるととても静かで真南を向き、一日中光に溢れ、目の前を何も遮るものがなく、真っ青な空が広がっていた。庭の大きな木にひっきりなしに鳥がやってきて、てっぺんで変わるがわる囀っていた。

野生化したインコ

部屋の中に入れるものは洗濯バサミや歯磨き粉から、全て吟味して自分の気に入ったもので溢れさせ、小物一つの配色や置き場所もこだわった。遊びに来た友人は口々に居心地の良い部屋だと言った。中には「結界が張られているようだ」と言った友人もいた。私は心の中で桃源郷と呼んでいた。

マンション自体もとても素敵で、各階の内装の色が異なり、同時にパステルカラーで色相が統一されているので、夜になりライトアップされたマンションは外から見るとそれはそれは素敵で異世界のようだった。近所の花屋であのマンションに住んでいると言うと、「あの建物はなんだろうと、ずっと気になっていたんですよ」と言われた。自分のことを褒められるよりも誇らしかった。仕事を終えて暗くなり帰ってきたとき、ライトアップされたマンションを眺めるのが大好きだった。

見晴らしの良い部屋からさまざまな景色を見た。大雪でシーンと静まる街。雷鳴が轟く街。朝焼けと虹でまるで天国の様相の街。街を真っ赤に染める夕焼け。そしてコロナ禍で真っ青な空を背景に滑空するブルーインパルス。

朝焼けと生まれたての虹

事情により、思い入れのあるマンションから引っ越さざるを得ない状況となった。今回は家探しを始めて、すぐに物件に出会った。やはり一目惚れだった。

引っ越しの前日、大家さんとばったりと出会った。大家さんにはとても良くしていただいたので、顔を見ただけで込み上げてくるものがあったが、平静を装い挨拶をした。が、覗き込んだ大家さんの目は涙で潤んでいた。私の手を取り「一生忘れられない、借主さんになりました」とおっしゃった。

というのも引っ越した当初、私が「あの家に帰るのかと思うと楽しみで楽しみで!」と言ったことが、本当に嬉しかったのだと。建築家の先生にもお伝えしたところ、「ほお!」とても感激されていたとのことだった。

そして私は気がついた。私の言葉にできない条件が何であるのか。それは愛されている家だということだった。単なる物として、さらには投機の対象としてひたすら消費される無機質な家ではなく、慈しみ育てられ成熟していく有機的な家だった。愛されている物が放つ光に私は惹かれていたのだ。それれらを玄関の丹精に生けられた季節の花や、美しく整えられた庭木に感じていたのだ。

引っ越し先の貸主さんもそれはそれは愛を注いでいる物件で、それが美しさという目に見える形で表現されていたから、私は一目で惹かれたのだ。

庭の草木が生けられた鉢

部屋を引き渡すとき、不動産屋さんが「10年住んでいたとは思えないほど綺麗だ」と驚いていた。掃除に関してはもっとコツコツ日々の手入れをきちんとしておけばよかったと後悔することが多かったので、私としてはびっくりした。でもそう言われて、思った。私もこの部屋を愛していたからだと。この部屋は愛されている部屋だったのだと。


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