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正社員を離れて421日。今だからわかる仕事を離れて不安を感じた理由

421日の産休・育休+有休を経て、10月半ば、正社員復帰した。

休んだ日数を数えてみて、驚いた。421日って!! 

421日もあったら色々できた気がするけど、ほぼ子育てしかしてないし、記憶もなんだか薄ぼんやり。

子育て以外だと、自分と対峙することが多いのは予想外だった産休・育休。

仕事中心の日々から一転、前半は社会に「自分の居場所」がないと焦り、一歩進んで「自分の居場所を仕事でしか見いだせない」しょぼい自分に消耗。気持ちが落ち着いたラスト1/3が、一番、育休らしいイ育休を過ごせたように思う。

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娘が産まれて100日位まで「社会に取り残されたくない」という焦りが、はじめてだらけの子育てよりも精神ダメージの根源だった(と今は思う)。

子育ては色々あっても、すやすや眠る娘の顔を見ると疲れが吹っ飛んでしまう母のバグ(と私は思ってる)で、やり過ごすことができた。(何が大変だったか、今ほぼ思い出せないのも、いい意味でバグ。)

でも、働いていない状態には慣れなくて、社会と分断された感覚は強まるばかり。復帰時の遅れを考えると絶望感もあった。

そして、こんなnoteを書いたりした。

時は流れ、生後200日を迎えた辺り。

娘は寝返りに成功し、ハーフバースデーを終えた頃。私の心持ちも変化していた。

働いてない不安に対し、鈍感力が備わり始めたのだ。「思考停止」ともいえるかも。苦しい状態にも慣れるから人間はすごい。

ルールの範囲内なら副業OK期に入り、会社に相談しながら育休中の副業をはじめた。けれど、その働き方は正社員と全然違う。

そもそも、特定の日の娘のお昼寝中や夜寝た後など、細切れの積み重ねでできる業務しか受けられない。だから、「働いている」けれど、正社員時代と違って誰かの体温を感じることはほとんどない。

(けれど、仕事は育児と全く違う脳みそを使うので、かなりリフレッシュになり、日々にメリハリを与えてくれた。仕事がリフレッシュになる世界線があるとは。)

とはいえ、相変わらず感じる、社会との距離。

でも、私は気づいていた。
そして、noteにしっかり書いていた(笑)し、悩みながら育休を半年から1年に伸ばす選択をした。

"居場所"がない状態が半年を越えた今。そこ(仕事)に戻るのは4月でも9月でも大差ない、ととっくに気づいている。

そもそも、「働くことでしか確認できない居場所」は幻想で、安心できる場所なんかじゃないともわかっていて。

仕事大好きだけど4月復帰をやめて1年育休とることにした

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そこから一転、ママ歴半年を越えた頃。気づくと「社会での居場所」について考えることがなくなっていた。

鈍感力が極まったのではなく、すがすがしいほど気にならないのだ。

でも、何か特別なきっかけがあったわけでもない。いろいろ振り返った結果、半年を経て「ママの自分」と、娘のいる生活に慣れてきたこと、まさかの「時間が解決した」んだと気づいた。

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出産を終え、私は事実として戸籍上でも「母」になった。

でも、出産したからといって中身は「母である自分」に急に上書きされる訳でなく、「自分ペースで生活していた頃の私」のままだ。

でもでも、ほやほやの赤ちゃんは目の前にいて、はじめてだからと練習期間があるわけでもなく、出産を境にいきなりガチ子育てをせなばならない。

産み終わってへとへとの身体で「とりあえず寝たい…」と病室に戻ったら、看護師さんに「もうすぐ授乳です!」と言われた衝撃は忘れない。そうか、出産完了と母スタートはセットなんだ。先輩ママたちが言う「いきなり母になる」が、自分にも起こったのだと。

同時に、ふとした瞬間に仕事をしていた頃と乖離を感じ、なんともいえない苦しさ・むなしさにおそわれる。

さらに、なりたくて母になったのに、そんな苦しみを感じる自分に罪悪感を感じるダブルパンチ状態。3時間おきの授乳で睡眠が細切れなのもあり、どこかギリギリのメンタルだった育休初期。

そんな当時を今、俯瞰で見ると「昨日と違う日々が急にはじまったら、慣れるのに時間がかかって当然。」と思える。

だけど、母本能を急発進させ「いきなり母になった」私に、現状を冷静に把握したり、自分の気持ちをケアする余裕なんてない。

そもそも、陣痛が始まる前までは、自分のペースで生活しており、環境がいきなり変わったという自覚さえない。

だから、目の前の現実と産前モードのままの脳みそが合致せず、とにかく苦しいし人生が止まってしまったような感覚に陥ったのだと、今なら振り返ることができる。

今回の育休期間の一番大きな気付き。
それは、どんな育児書にも、SNSにも書かれていなかったけど「母になった自分」に自分が追いつくのは時間がかかる、ということ。

マタニティブルーのチェック項目に全くあてはまらない、あの鬱々の原因はこれだったと思う。

日本語が通じない環境に留学した友人が、3ヶ月くらいで周りの言ってることがわかるようになり、さらに3ヶ月経つと、ほぼ生活に困らない位コミュニケーションできるようになる、と言っていたのに近いのかもしれない。

当たり前だけど、人間は慣れない環境に馴染むのに、時間がかかるのだ。


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そんなこんなで、母である自分に慣れた育休ラスト1/3くらいが一番「娘と過ごす時間」を楽しむ余裕を持つことができた。

また、仕事で自己確認するタイプだった私は、「何者でもない自分」期間を1年以上過ごし、自分自身もちょっとだけ成長したように思う。

そもそも何者でなくても意外と幸せだし、どこかに所属していなくても、自分で自分を認めてあげることが、ヘルシーなメンタルへの第一歩だと改めて気づいた。自分で自分を認め慣れていないと、それはそれでむずいけど、気づいただけで一歩前進ということで。


そんな421日を経て正社員復帰した今、また正社員✕育児✕日常という新しい毎日に翻弄されている。

もともと、きびきびした脳みそでないのに拍車がかかり、メンバーのやさしさに支えられながら過ごす毎日。でも、やはり仲間と働くのは楽しいし、学びも多く毎日へとへとだけど充実感がある。

娘も長時間の保育園に疲れるようで、平日はほぼ即寝。母子ともに、洗礼をうけながら、新しい日常を構築中だ。

育休、というかはじめての子育てに想像を越えた体験が詰め込まれまくり、感情ジェットコースターがセットになってるなんて、全然聞いてなかった。

けれど、毎日は続いていく。引き続き、変わったことと変わらないことがごちゃまぜの毎日をやり過ごしながら、娘と一緒に母として成長していきたい。

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