無理しない自分でいい
この言葉を素直に受け取れる今を今日は書きたいと思います。
⊿⊿⊿
私はプライドの塊だった。
どこか抜けているように思われがちな私は(実際そんなところも多い)
「仕事ができなさそう」と言われたことがありました。
もちろん親しみを込めて言ってくれてる部分もあると思いますが、その言われた通りの自分でいるのがどうも嫌で、出来ないやつと思われたくない“無理してでもやる”が私の中で当たり前になっていた。
保育士時代は子どもを保育する以外の仕事もかなり多く、製作物はもちろん、花壇を作ったり(花の買い出しから土を作り植え付けまで)、大工仕事や(流しそうめんの竹を作ったことも)、行事全般の企画に準備、設営、パソコン、研修発表まで、その他本当に色々なんでも屋さんだった。
体力的に難しいことも出来ないとは言えず、仕事だからと家に持ち帰ってするし、自分のキャパ以上の仕事を引き受けるのは当たり前だった。
仕事を頼まれる=仕事ができると思っていたし、同期が多かったので自分を評価してもらうためには何でもしないとと思っていました。
誰かの評価で生きてきたから、認めてもらわないと自分には価値がないってずっと思い込んでた。
無理ばかりしてると必ず限界がくる。
それを感じた時にはもう引き返せないほどボロボロになってて、楽しくしていた仕事も楽しくなくなっていく悲しさ。
私は「プライド」という見栄を貫くあまり自分をなくしていました。
今は目の前の生活を大切にじっくり向き合う中で、今まで見えていなかった私がたくさん見えるようになりした。
めんどくさがりな割に掃除が好きで妄想しながら絵を描くのが楽しくて、家の隣で工事する音さえも心地よく思う心の余白を感じてる。
無理して心をすり減らさなくても、今すでにできていることはたくさんあるし、
今ある私で十分、それでいいと思えています。
そして、そんな自分に色んな可能性を感じてるし、まだまだ人生楽しむと決めて今を大切に生きている。
無理しないとうよりは、無理しても楽しめる自分でいるのが大事ってとこに今は落ちついてます。
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