サウジアラビア旅行【Day4: ペルシャ湾?それともアラビア湾?リヤド③ 】
リヤドの国立博物館へ行きました。
●国立博物館で
国立博物館には、古代から現代までのサウジアラビアの歴史が展示されています。建物左の大きな垂れ幕は「ヒジュラ:預言者(ムハンマド)の足跡」の展示のことです。
●ペルシャ湾?それとも、アラビア湾?
展示の中で、サウジアラビアの地図がありました。各地の説明をするために、ボタンを押すと小さい丸が光って、場所がわかるようになってます。
私が気になったのが、地図の中の「湾」の名前です。
サウジアラビア東部に広がる湾を「ペルシャ湾」と、日本人は呼びます。しかし、この地図でも、帰国後に調べたサウジアラビア系のウェブサイトでも、「アラビア湾」と表記されていました。
改めてグーグルマップを拡大して見ると、「ペルシャ湾(アラビア湾)」となっていました。
つまり、「ペルシャ湾」と呼ぶのは、イランが昔、ペルシャ帝国として栄華を誇った事が関係しているのではないか、と思い当たりました。
サウジアラビアと(仲の悪い)イランの間にある湾なので、サウジアラビアとしては「アラビア湾」と呼びたい、という事なのでしょう。
グーグル・マップは、大きい地図の時点では日本語で「ペルシャ湾」と表記されます。
ところが、地図をどんどん拡大していくと「ペルシャ湾(アラビア湾)」の表記に変わります。
赤丸が「ペルシャ湾(アラビア湾)」、緑がサウジアラビアの首都リヤドです。
ということは、「日本海」はどうなんだろう?と疑問になりました。日本やロシア、北朝鮮や韓国との間にある海ですから。
もしかしたら、他の国では違う名前で呼ばれているのかも??
調べてみると、国連を始め、ほとんどの国は「日本海 Sea of Japan」として認めてくれているようです。
でも、お隣の韓国は「東海 East Sea」(韓国の東の海だから)と呼んでいるようです。
政治的な問題らしく、日本の外務省には「日本海呼称問題」というページまでありました!
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/nihonkai_k/index.html
ペルシャ湾から自国の海のコトへと、今まで気づきもしなかった事を知るのはとても楽しいですね。
●砂漠のバラ!
国立博物館の展示に戻ります。
下は「砂漠のバラ」。
Wikipediaによると、「ある種の化合物が、自然現象でバラのような形状の結晶に成長した石」とあります。
ダンマンの博物館ITHRAの庭にも、ありました。誰でも簡単に触れそうな感じだったので、そんな凄い結晶とは思いもしませんでした…。
原油crude oil の見本(下の5本)と、埋蔵されている石油の説明図。
日本語では、原油が眠る大地を「油田」と言います。でも、原油は湖のように地下に広がっているわけではなく、スポンジのような状態、Not pools but Spongesだと説明しています。
●先史時代は世界中どこも一緒!
先史時代の模型。
下は矢じり(矢の先につけるモノ)。
日本の矢じりも、サウジアラビアの矢じりも、一緒ですね!
ちきりんさんもおっしゃてましたが、この時代の人たちは、世界のどこでも同じような創意工夫をして生活をしていた事がわかります。
ところで、サウジアラビアはヒジュラ歴を採用しています。日本が元号(平成や令和など)を採用しているのと一緒です。
ヒジュラ歴はイスラム教国で用いられている太陰暦です。
預言者ムハンマドが、メッカからメディナへ移住(ヒジュラ)した年(西暦622年)を、ヒジュラ歴元年として数えるそうです。
ところが、ちきりんさんが気づいたのですが、展示には「BC 紀元前」と英語表記されてます。BCは、Before Christ キリスト以前という意味なので、キリスト教徒の考え方です。
観光立国を目指すサウジアラビアなので、イスラム教徒以外の観光客にも理解できるように、BC表記を容認しているんでしょうね、とちきりんさんは、おっしゃってました。
そんな小さい点に気づくなんて、さすが、ちきりんさん凄いです。
下はベドウィン(遊牧民)のテント。
イスラム教徒の広がりが、茶色で世界地図上に示されています。
広いですよね。
ここまで広がっていったので、キリスト教を母体とする欧米の人々が、イスラム教徒を恐れたのではないか?というのが、ちきりんさんの見立てでした。
そして、博物館の中にも当然ながら祈祷室がありました。絵柄を見ると、ここは女性用ですね。
●歴代の国王は…
こちらは、博物館のロビーにどーんと飾られていた歴代の王様の写真です。右端が初代アブドルアジーズ王。
初代から左へ3人目ぐらいまでが、アンティークタイプの輪っかですね。
4人目以降は黒い輪っかのイガル。
あれ?全部で9人いる??
初代から今の7代目サルマン王までで、王様は7人のはず…。
あ!!
初代アブドルアジーズ王以外は、彼の息子達の写真だったかな?
息子がたくさんいるので、2代目から7代目の王様まで全員、初代国王の息子なんですよね…。
そして、現国王の7代目サルマン王が即位したら、他の兄弟の息子だった皇太子を解任して、自分の息子ムハンマドを皇太子にしたらしいです…。
そして、今のサウジアラビア国内には、初代アブドルアジーズ王と、現サルマン国王と、ムハンマド皇太子のポスターが大きく貼られています。
この博物館では、ブロマイドが販売されてました!
ブロマイド1枚いくらで売っていたか?は不明でした(笑)
さて、博物館の向かいは初代アブドルアジーズが建てた宮殿ムラバ・パレス Murabba Palace。
博物館との間には、雨の少ないサウジアラビア中部なのに水路がありました。
岩の向こうで歩いている女性2人は、アバヤは着ていますが、顔は隠していません。
こちらは、博物館の庭の一部(写真右側)で、子供用のワークショップがあったようです。
アバヤとヒジャブをしたお母さんがスマホを覗き込んでます。ベビーカーも見えますか?
サウジアラビアでは、ベビーカーを押して外出しているお母さんが多かったです。
博物館近くの道路のそばにあった広大な赤土の土地。The 90と書かれた看板には、大規模な商業地か住宅地が建つ計画のようです。こんな状態のところが、リヤドには沢山ありました。
変わった建築も多いです。テントみたいなモノで外壁を覆っているビル。図書館も入っているビルだったかな?
三角形のように尖っているビルはアル・ファイサリア・タワー。高さ267メートル、44階建て。一時期は、サウジアラビアで一番高いビルだったようです。球体は、地球を意味しているみたいです。
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