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【エッセイ】才能

気を悪くする人には申し訳ないが、私は「才能」とか「センス」とかそういう言葉があまり好きじゃない。
なぜかというと、とても都合の良く、使い方が浅はかなものが多いからだ。

人それぞれが持っている個性そのものを「才能」「センス」と一言で片付けるのが苦手だ。そもそも私は、才能やセンスなどという概念は「存在しない」に等しいと考えている。

何か得意なものがあるのなら、まずそれを見つけるまでの歴史があり、それを「続けよう」と思う意志があり、挫折や喜びが紆余曲折あったりと、たくさんの環境と人間が影響してできたものであると思う。

「天から与えられたもの」
「天才
‼︎才能があったから今ある結果」
という言葉達は、個人の歴史を否定しているようでとても嫌だ。

頑張ったから、色んなものに揉まれながら生きていたから、今の私がいるわけで、あなたがいるわけで、それを「天から」とか「才能」と一言で纏められてたまるかと思う。


「才能」「センス」という言葉の使い方において、私が最も毛嫌いする使い方がある。

「○○は才能あるよね。私なんかはさ」

この言い方が私はほんっっっっとに嫌い‼︎
なぜかというと、相手の歴史を否定した上に、「自分には才能がない」という事を誇示し、才能という大きな歴史を、受け身で手に入れようとしている態度が目に見えているからだ。

そんでもってそんな、無いようなもので比較をするな‼︎隣の芝は青く見える‼︎人間は製品じゃ無いんだから比較なんていらない‼︎


「才能」というものを言葉にしなければいけないのであれば、私は「自分のできる事を見つける力、認める力」だと思う。

その力は得意、不得意なんて存在しない。見つける機会が多いか少ないかだけで、その機会は自分でいくらでも多く設けることができる。

ただ、やりたい事ができない事だってもちろんある。解決方法は2つ。

1つ目は、できるまでやる事。結局「継続力」が最も大きな力であると思う。ただ、いつか限界が来る時は来るし、無理な時は無理。しかし、それを打破する方法がもう一つある。

2つ目は、人に頼る。1人で出来ないことは、人に頼る。その為に集団があって、チームがあるんだと思う。人に頼るというのは、社会動物である人間にしかできない、立派な知恵である。

以上のことを意識した上で、やりたい事ができない理由を「才能」と片付けるのは都合が良すぎると思う。「他者と比べる」ということは、自己の現実から一番逃げやすい方法だ。

私は、才能があるから作品を作っているわけじゃない。表現したいものがあるから作品を作り続けている。
それを絶対に忘れてはいけない。

だから私にもあなたにも才能なんかは無い、ただ歴史があるだけだ。
できないなら、続けるしかない。困ったなら、人に頼るしかないのだ。
そしていつの間にか、出来ることが増えて、それがまた歴史になるのだ。
ただ、それだけだ。

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