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「わかる」ってなに? | サイドトラック放浪記

「うわー、それわかるわー」と言われれば、たいてい自分の気持ちに共感してもらえたと思って満足していたし、事実自分も相手へ共感を示すことばとして多用してきた。けれど使い方次第では、その状況を単に「理解した」だけであり相手の気持ちによりそって「共感した」ことにはならないケースもあることを知った。心療内科で。

心療内科受診 2011年 version.

会社を休職するには診断書が必要とのことで、まずは心療内科へいってみたが心療内科にもいろいろパターンがあるようだ。

10年近く前にも1度だけお世話になったことがある。
当時、子宮に問題をかかえており、腹部に穴をあけての手術(腹腔鏡手術)をしたことがある。手術から10日ほど自宅で休んですぐ仕事に復帰し、非常に面倒でうるさいという噂の新規クライアントとの初タッグプロジェクトのリーダーを任された。会社を休んでいる間に任命されていたので欠席裁判で押しつけられたみたいなもんだ。

術後すぐの体でいきなり初めて顔をあわせるよく知らないチームメンバー、初めて挨拶するクライアント、今まで経験したことのない類の仕事でほぼ24時間、土曜の朝と日曜以外は休む間もなく働きづめになったこともあり、数ヶ月後に人生で初めて得体のしれない心身の不調を感じた。
白い花がほしくて仕方がないのだ。白いチューリップがどうしてもほしくて花屋で10本ほど束ねてもらい、今まで一度も飾ったことのない花束を(会社のなかで花を飾るひともいない)オフィスの自席に飾りつづけた。夜はわけもなく声をあげて泣き出す日が続き、さすがにこれは何かがおかしい、と自覚した。

残業時間超過で呼び出された産業医にも心療内科の受診を勧められ、婦人科の術後検診で通っていた大学病院の心療内科を屈辱的な気分で受診した(なにせ自分は屈強な心身の持ち主だと信じていた)。
年配のおだやかな女性の先生だった。まるで幼稚園児に話しかけるような優しい口調で「どうしたの?」と問われると、わたしはお母さんに話すように今までの状況をかたっぱしからマシンガンのように説明した。おかあさん先生はふんふんとずーっと話を聞いてくれ、最後にこういった。

「体に傷をつける(手術)だけでとんでもないストレスがかかるのよ。しかもあなたの場合ホルモンもバランスもくずれているから、そんなときにそんな働きかたをしたら、誰でもおかしくなって当たり前でしょ。ちゃんと休めばあなたは大丈夫だから。赤ちゃんでも飲める漢方みたいな薬だけお守りがわりに処方するから飲んでみて」

訳のわからない心身の乱れの原因が突き止めることができたわたしは安堵すると同時に、「やっぱりわたしは心身ともに弱い子じゃなかった」と再認識したことで気分が晴れあがり、初めての心療内科診療はこの1回こっきりで終わったのだった。

心療内科受診 2020年 version.

2020年の今回は、一度の受診ですみそうにはない。医者に長期にわたってかかるなら、ネットの口コミは当てにならないと思い、まずは近所のかかりつけの内科の先生へ相談しにいき、紹介状を書いていただいた。

コロナの影響もあってか昨今心療内科は大盛況のようだ。初診まで約1週間近くかかったが、無事診察の日を迎えた。
10年前に受診した際は診察前に家庭環境や家族構成、仕事の内容や受診に至った経緯など、詳細な問診票を事前に記入したのだが、今回は数問答えるだけの簡易な問診票だけだったので、少し不安が残る。初対面となる先生にはどこから話してよいのかさっぱり検討もつかないまま診察室へ向かった。担当は同年代らしき先生だった。

「はじめまして、よろしくお願いします」
「担当します。よろしくお願いします」
「・・・」
「・・・」
さて、何から話せばいいのだろう。自己紹介から?仕事の内容から?
何をしてよいのやらわからないので、だまっていると
「黙っていられたらわからないよ。9月14日になにがあったの?それを話してくれないと診断できないよ」といきなり言われた。

あ、そういうことか。わたしがここへきたきっかけを話せばいいのですね。いや心療内科初心者なんだから、ここが何をする場所で、先生であるあなたは何をしてくれるのか先に説明してよ、と言いたいところだが、
「いや別になにもないです。仕事ができなくなっただけです」
と事実をストレートにひとことだけ問われたとおりに答えた。別に9月14日に強烈なモラハラワードを浴びたわけでもパワハラ行為を受けたわけでもないのだから。
だが、それではコミュニケーション能力を疑われるだろうし話も進まないので、9月14日に至るまでの経緯をつけくわえて説明した。

「おれがやる! その後始末 だれがやる」

今回休職する上での直接的なトリガーとなったのは、男性上司によるパワハラモラハラと言っていい。
「おれがやる! その後始末 だれがやる」
という実に秀逸な川柳を本で読んだが(出典:『女子会川柳』ポプラ社)、まさにそんなタイプの「俺はできる」を本気で公言して憚らない一癖も二癖もある勘違いバブル世代おやじが上司だった。
中途半端なMBAメソッドをふりかざしてできもしない夢物語を描いた新規ビジネスプランは当然座礁。案の定提案をうけた得意先は激怒、「そっちが悪い」と得意先に言い返す上司は出禁をくらって帰ってくるので、後任として駆り出されたわたしは得意先との関係再構築と後始末に奔走し、さらには途中で放り投げられたムチャな新規ビジネスプランをごまかしながらできる範囲に縮小して軌道に乗せる役割を負わされていた。

そんなこんなで俺No.1上司は部下の意見に聞く耳を持たず、意見をいう機会すら与えられないわたしはストレスをため、挙げ句の果てにわたしのやることなすこと全てが上司の意に沿わないのか、「xx」だの「xx」だの「xxxx」だのと罵、もとい、会社的には「コミュニケーションの一貫として」NGワードを言われる日々に我慢するのをやめたのだ、と説明した。

わかるわー、わたしもそうだった

かいつまんで説明したわたしの話を一通り聞いた先生のひとことはそれだった。そして医者の世界はもっとひどい男社会だと。むしろ一般企業より意識も体制もずっと遅れているのだと(先生は女医さん)。わたしは先生の話の医療業界の状況を聞きながら自分の意識がすーっとこの診察室を離れていくのを感じた。

「わかる」のはこの先生ご自身がうけた経験のことであり、今この瞬間この先生は自分の過去を振り返っている。それはつまり患者であるわたしと向き合っていないのだなと認識した。それと同時になるほど、と妙に納得してしまったのは、「わかる」ということばの使いかただ。

わたし自身もメンターとして後輩社員の話を聞くことがあったが、話を聞きうなずきながら「わかる」を連発していたように思う。が、そのときわたしはちゃんと相手にむきあって共感してきたのだろうか、と先生の診察を受けながら考えてしまった。

共感と理解は別物

相手の気持ちを「わかる」ことはとても大事なこと。「わかる」とは共感することであり、共感されてはじめてひとはひとりで抱えていた荷物を少しひとに託すことができる。背負っていた荷物が軽くなったクライアントやメンティは今までよりもちょっと身軽に自分で行動をおこせるようになる。だからこそ、対話に行動を促すための余計なアドバイスや指示などは不要なのだ。相手の話を真剣に聞くことで抱えている荷物をおろすお手伝いをしてあげればいいのだ。

先生は自身の経験に当てはめることで状況理解に努めてくれたのだろう。経験があってこそ、相手の気持ちに寄り添い共感できるところは大きい。
けれどわたしは先生の言い放った「わかる」を聞いても荷物を降ろせなかった。「わかる」に共感を感じられなかったからだ。ただ自分の経験を思い出しての「わかる」発言に聞こえたからだ。
こちとら営業二十余年のベテラン営業だ。発せられたことばに潜むこころの機微くらい、心理学者でなくても読めとれる。

「心療内科とはなんぞや」

疑問だけが残り、セカンドオピニオンとして他院の受診も検討しようとぼんやり考えながら病院をあとにした。
しかしそのおかげでこの状況を自分で考えるきっかけになった。
わたしは荷物を抱えたまま旅にでることにした。

※写真はアグラの霊廟タージマハル(インド)


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