読書メモ 「空の穴」
「空の穴」
イッセー尾形
文春文庫 2002年
イッセー尾形の一人芝居が好きだ。
今年2月頃だっただろうか、テレビで工藤官九郎脚本による日系ブラジル人たちを描いた一人芝居『ワタシたちは、ガイジンじゃない!』をやっていて、久しぶりのイッセー尾形に見入ってしまった。何年か前、休養宣言というのを聞いて残念に思っていたが、どうやら1年限定のリフレッシュ休暇みたいなものだったようだ。よかったよかった。
熱烈なファンとまではいかず、いわゆる「ユルい」ファンなのだが、イッセー尾形が好きになったのは、その昔テレビで『指導員』を見たのがきっかけだった。『指導員』の他にもやっていたが、その時の私にはそれが一番面白かった。何の指導員かは最後までわからない。でもあー、こういう話し方する試験官とかいるよね、そんな何処かで見たような人物を強烈にカリカチュアライズしていて、インパクトのある作品だった。作品と作品の間に、舞台の上で衣装替えをしていたこともよく憶えている。
『駐車場』という作品は最近知ったが、これにハマってしまった。駐車場でこんな展開になるとは…。何度もくり返し見てしまう。そして何度見ても、私は「山中」の狂気に笑い、そして泣いてしまう。
劇中で山中が「…ワイ・イー・エヌ・ぶ・ふじ」とつぶやくんだけれども、これ何のことだろう。誰かわかります? 気になってしょうがない。「YEN BU FUJI」…。「ピー・エー・アール・シー・オー」が「PARCO」だというのはわかるんだけれど。左右逆に読んでるのかなと思い「IJUF UB NEY」と紙に書いてみたが、わからない。単に山中が見間違えたんだろうか。
話を戻すと『ワタシたちは、ガイジンじゃない!』を見て、イッセー尾形の本を読んでみよう思ったわけだ。
『空の穴』は9つの短編からなっている。登場するのは、心にポッカリと穴が空いた名もなき人物ばかりだ。どの話も、なんとなくあの一人芝居に似ている。
「誠実なカラス」—— 男女の実らない恋を描いたありがちな話だが、携帯電話を使ったスリリングな会話が見せ場。「カラス」という、いわば「小道具」の使い方も効いている。それにしても、このお互いの思惑の一致のしなさ加減…。女の被害者意識、男の「こんなにやってやったのに」と見返りを求める気持ち…。男と女というものは、すれ違うようにできているらしい。
「ガラスのボックス叩く音」—— 昔はこういうメディアがあったのだ。若い人には信じられないだろうが、駅に行けば伝言板があったし、友達とは交換日記をしたものだし、ペンションだか山小屋だかに行くと(主人公の「私」に怒られそうだが)ノートが置いてあり、くだらないメッセージを書き込んだりしていたのだ。携帯やらSNSやらツールが変わっただけで、やっていることは、さほど変わらないような気もする。人と語り合いたい本能を、人類はまだ捨てていない。「チョーメン」の内容にケチをつけていた「私」だが、最後はこだわりがなくなって「何でも来い」みたいなスタンスになっているのがいい。この鷹揚さ、私たちは持てるだろうか。
どの話も、イッセー尾形が書いたということを抜きにして楽しめる。しかし舞台化するとしたら、と想像して読むとさらに楽しめる。小説の描写と舞台の描写は約束ごとが違うはずだ。イッセー尾形なら、どういう仕草をこの主人公たちにさせるだろう…。
「ワイ・イー・エヌ・ぶ・ふじ」がわかった。「YEN SHOP 武富士」だった(画像検索してみて下さい)。あ、わかっちゃうと面白くないか…
そうか、山中は「智」を「ち」と読んでいたんだ。ちゃんと伏線が張られていたんだ。