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読後感想 鴻上尚史著『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』

たまたま目にしたほぼ日のインタビューシリーズ。
鴻上尚史さんと糸井さんとの対談を読ませていただきました。

演劇はあまり詳しくないので、鴻上さんのことはお名前しか存じ上げませんでした。でも、この記事を読んで鴻上さんに大変興味を持ちまして。

さらにシリーズ3回めに出てくる「不死身の特攻兵、佐々木友次さん」という方に非常に惹かれました。

読み終わったら速攻アマゾンでポチっていました、『不死身の特攻兵』。

中古で買ったので、カバーはなし。
しっかり折り線もついていて、読み込まれてる感ありまくりです(笑)

著者さんに印税が入らないのが残念ですが、中古のいいところはこういう「気配」ですね。前の方がどんなふうに読んだか、なんとなく空想がつく。
サラの本もいいですが、そういった痕跡のあるものは、読書の愉しみを深めてくれます。あくまでも個人的な感想ですが。

9回出撃して、9回生き残った特攻兵の話

本書は、不死身の特攻兵、9回特攻兵として出撃して9回生き残った佐々木友次さんに、鴻上さんが直接インタビューしたことと、ノンフィクション作家の高木俊朗氏の著作『陸軍特別攻撃隊』に記述されたことをまとめたものです。

だいたい、特攻兵が生きて帰れるとは思っていませんでしたし、生還した特攻隊員が(つまり、死んでいるはずの人)が収容されていた寮(振武寮)もあったなんて、初めて聞きました。

他にも、驚くべきこと、信じられないようなことがたくさん書かれていました。


誰もが「お国のため」と志願して死ににいったのではなく、無理やり志願したことにさせられていた人がたくさんいたこと。

生還した特攻隊員を、軍の上官が非国民、クズだとめちゃくちゃに罵って、次に行く時には死んでこいと平気で言っていたこと。

戦後、帰郷してさえ、軍神とされた佐々木さんが実は生きていたという事実に、周囲はいい顔をしなかったこと。

特攻隊に反対する軍人も多くいて、上層部の命令は絶対とは言え、そんな中でどうしたら無駄死にさせずに敵を爆撃できるかを真剣に考えた人たちがいたこと。

そして、戦後、今に至るまで、特攻隊のイメージが「お国のために命を惜しまず、さわやかに亡くなっていった人たち」という美化されたものになった理由も書かれています。

一人でも多くの人に

鴻上さんも本の中でおっしゃっていますが、佐々木さんのような日本人がいたこと、その当時の日本の軍部の実態やメディア操作の実態を、ぜひみんなが知らなきゃいけない、と強く思いました。

特攻隊で亡くなっていった多くの人たちに、私たちは祈りを捧げなければならない。でも、それと、特攻隊が美しいものだというイメージは別のものだ、と鴻上さんはいいます。

特攻隊がいかに無意味なものだったか、「勝つと思ったら勝つのだ」と過剰な精神主義を強いた東條英機や軍の中枢部がいかに愚かだったか。

なぜ、そうなってしまったのか、色々なところで検証はされていると思いますが、一人一人が自分なりに考えていかなければならない問題だと思いました。

これは戦争の話だけど、今の私たちの生活において、似たようなことがないといえるかどうか。

生き残った理由

佐々木友次さんがなぜ生き残ったかは、様々な理由があると思います。
しかし、一つ明らかな理由は、無類の飛行機好きだったこと。

子供の頃から飛行機に憧れて養成所に入った佐々木さん。

これから突撃する、というような切迫した場面でも、空を飛んでいる時には楽しい、幸せと感じられた。空からの眺めが美しいと心から思えたそうです。

これは人間の能力の中でも非常に大切なものだと思います。こういったどん底の中でも、美しさや喜びを見つけられる力があるからこそ、私たちの祖先は生き延びてこられたのでしょう。

祖父の話

私の伯母は40そこそこで病死しました。
祖父母は95歳、102歳と、伯母が亡くなった後も長く生きていました。

伯母が亡くなる数ヶ月前、祖父はよくこんなことを言っていました。

「E子(伯母)の病院から見える松林がきれいでなぁ。
いつか油絵で描きたいんや。」

この話を聞くたびに、横で聞いていた祖母は嫌な顔をしていました。
「E子はいつ亡くなるかもわからんのに、よくもそんなふうに感じられるね。」と。

松林の向こうには、恐らく日本海が広がっていたはずです。松林は海風や雪に長年晒されつつ立ってきたのでしょう。

祖父は伯母の死を間近に感じながらも(だからこそ余計に)、自然の美しさに心を奪われたのではないかと思います。

そこに人間の生命力を感じます。
美しいと思える力って、なんて尊いんだろう。

祈ること、そして知性を働かせること

鴻上さんのインタビューに応える形で、佐々木さんが「死んだ奴が一番かわいそうで」と仰るシーンがあります。

21歳で特攻兵になり、92歳で亡くなるまでの長い年月、亡くなっていった戦友のことを片時も忘れることはなかったのでしょう。それを人に多くは語らず、ずっと胸の中に収めて過ごされたのだと思うと、身体の奥に痛みが走ります。

私たちは戦争で犠牲になった人たちに祈りを捧げることしかできません。

今のウクライナでの戦争でも、わたしたちのような小市民にできることは限られています。

しかし、あやふやになっていたり、事実と違う形で伝えられていることの真相を、できる限り知っていこうとする姿勢が大切なのではないかと思います。

何が正しい情報なのか、メディアや周囲に踊らされることなく、「正義」などの美しい言葉に思考停止するのではなく、自分の目や耳で確かめていくこと。

祈りと共に、そういったところで知性を働かすことができるよう、日々心して生きていきたいと思います。














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