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年の瀬の街で感じたこと


年の瀬の鎌倉駅。いつもの週末に増してすごい人出。

週末は特に観光客も多く、人の歩みもおやすみモード。駅前の歩道を進む人の波も自ずとゆっくりになり、いつもの半分くらいのペースに成らざるを得ない。こっちは年末の支払いのことやら片付けやらで頭が一杯になりながら、ちょっとイラっとして歩道を歩く。

駅近くのスーパーの前を通りかかった時、「いいーーー、いいいーー」という大きな声みたいなものが聴こえてきた。

ハッとして振り返ると、40代前半くらいの知的障害のある方と思しき男性が介添えの方と一緒に歩いている。

その男性が発した声は、ものすごく野太くて、大きいというよりは音圧がすごい。身体中が筒みたいになっていて、足元からやってくる地球の音を身体を通じて響かせているといった風。まさに「地球の声」という感じだった。

加えてニコニコ笑う顔のどこにも曇りがなく、楽しくてたまらないというのが伝わってくる。

声を発するだけで幸せを感じている人がいる。本当は、生きてることってそういうことだったはずだよな、と思った。

思い出したことがある。

20年以上前のこと。「声の魔術師」と呼ばれるフィル・ミントンさんというヴォイスの達人が来日し、ちょっとしたお手伝いをすることになった。

フィルさんは、鳥のさえずりから洗濯機の回っている機械の音まで、様々な音をそっくりそのまま真似してしまう。鳥が当たり前に鳴き返してくるからすごい。

たまたま、町田市内の知的障害のある子供たちの施設で、フィルさんのワークショップがあった。障害のあるお子さんとその父兄の皆さんが対象だった。フィルさんを囲んで和になって座る。開口一番「まず、挨拶がわりにみんなの本当の声で話してほしい」とフィルさん。

子供たちは、さっきのスーパーの前で会った男性のように、すぐに全身に響かせるような声で話し始めた。それに対して、父兄の皆さんはオペラ歌手ばりの「あああぁ〜♬」とか、アナウンサーみたいにかしこまった声とかを出してくる。フィルさんは「あ、それあなたの声ではないですね。自分の本当の声でお願いします」と容赦がないのだけど、父兄の皆さんはそれに応えることが出来ない。

その様子を見ていて、一体どっちが健常者なんだろう、と思った。

自分の声を出すのに、わざわざ化粧をしたり、かしこまる必要はないはずで、人を喜ばせようとかいう以前に、本人が全身を響かせて、心地よく声を出しているということ自体、周りを幸せにすることができる。

音楽や芸術の原点って、そんなところだったような気がする。

年の瀬であれこれ片付けることばかりに追われていたけれど、思いがけない”声”に出会って、人間らしい気持ちになれた。久しぶりに眉間のシワも伸びたような(笑)おにいさん、ありがとう。







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