見出し画像

見守る

ウチの長男は今、神奈川県内の公立高校の一年生。

2年前の中学3年の時、体調不良で動けなくなってしまい、内申点が取れなかった。止むを得ず行った高校が、どうしても気に入らないと言って再受験を決意。

1年間頑張って、偏差値でいえば20~30位上げたんだと思う(偏差値は別にどうでもいいけど、比較する時に役立ちますね 笑)。仮に内申が取れていたとしても、初年度では行かれなかった高校に合格した。

さて、ようやく入った高校で友達もできて、軽音楽部なんかに入って、いわゆる青春らしいことができるようになったのもつかの間、またしても行かれなくなってしまった。

世間一般に言う、アトピー性皮膚炎というやつ。どうも成長ホルモンが出る時に一気にひどくなる子がいるらしい。

ひどい時は布団から出られない。布団と部屋の温度差がきついらしい。

高校は中学校と違って出席日数が足りないと留年になってしまう。

親はもちろんだけど、本人はさぞかし心中焦っていることだろう。自分たちはいいけれど、それが辛い。

そうこうしているうちに「お母さん、僕、今のうちに自分の将来の仕事に繋がりそうなこと探すわ」と言い出した。

朝〜午後にかけて、全く身動きが取れないが、夕方、ちょうど学校が終わる頃になると動けるらしい。

「あーあ。今日も行かれなかった」と思うくらいなら、何かしたほうがいい。そう思ったらしい。

子供の成長は貪欲。病気だって何だって使って成長する。

自分ではどうすることもできないことへの対処、感情との向き合い方、AがダメならBとさっと切り替えられる潔さ...。こうやって大人になっていくんだなぁと思った。

こんな時、親はせいぜい、子供の中の成長していくものに目を向け、行く末を見守ることくらいしかできない。

とはいえ、人間の成長には「見守っている」だれかの存在が必要なのかもしれない。じっと見守っている、わかってくれている存在。
なんの駆け引きも利害関係もなく、そのまま受け入れてくれる環境。

子供の頃、引っ込み思案でコミュニケーションが苦手だった自分自身を思い出す。

大学生になって大阪に移住した時、堺に住んでいた叔母の家によく遊びにいった。帰り際、自転車を二人乗りしてよく駅まで送ってくれた。

「あんたにはな、ほんまにええとこある。おばちゃん、ちゃーんとわかってるで」

胸の奥がホワッと温かくなった。
風の音とおばちゃんの背中の暖かさとが一緒になって、今でも忘れられない大切な記憶になっている。

いつか息子が大人になって、私の手の届かないところに行ってしまったとき(行ってくれないと困るのだけれど)、この辛かった秋の日のことなんかを思い出すのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?