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変わっていくこと、変わらないこと

コロナ禍の今夏、急を要することがあって帰郷した。

五年前、父が股関節を骨折して入院してから、母は物忘れが酷くなった。最近では、単なる物忘れと言いにくい位、進行しているという。

「ちょっと様子を見てやってほしい」と、姉から言われた。姉は結婚して実家の近所に住んでいるため、その変化にいち早く気づいたのだ。

今夏、その姉が積年の過労で入院した。その代わりにと言う訳ではないけれど、姉が見に行けない分、少しでも自分ができることを、と思って帰郷した。

母の状況

実を言うと、この2ヶ月で1回ずつ帰郷している。長くはいられないしコロナ禍なので、ほぼどこにもいかず、1、2泊して鎌倉に戻っている。

その1ヶ月の間にも、母の状況は変化している。ご飯の炊き忘れ、飲み薬の混乱はもとより、同じことを何回も繰り返す、夕飯の支度1つ取っても、メニューの心配→冷蔵庫の中を確認→買い物の確認を数回繰り返している。

父は、ちょっとしたことでも、確認のための時間や、母が納得するまで説明する回数が増えたので、若干げんなりしている様子。時々怒りを爆発させながら、なんとか付き合っているようだ。

とはいえ、母はもともと陽気で明るいので、かなり救われている。暗く落ち込んでいくのは周りも本人も辛いが、ケラケラ笑って「忘れた〜!」と言い、鼻歌を歌っている母を見ていると、むしろ幸せなんじゃないかなと思ってしまう。

身体では、覚えている

その母を観察していて気づいたことがある。

行動しようとしてすぐに忘れるのは、意識の上では、次の行動への認識が飛んでしまうから。でも最初に感じた「こうしよう」という意志は、身体にはしっかり残っていて、それに沿って無意識に行動している。

ただし、その意志は、周りの都合ではなく、自己都合、自己納得が優先であることが、ちょっと以前の母とは違うところのようだ。

例えばこんなことがあった。

母は長年書道をやっていて、数年前まではボランティアで老人介護施設や地元の中学校などで書道を教えていたこともある。

コロナになって、秋の文化祭など、発表の機会がどんどんなくなるせいもあって、なかなか字を書こうと言う気にならなかったらしい。

「せっかく続けたんだから、やったら?忙しい、忙しい、って言ってる間にできるよ」

「勿体無いから、続けたほうがいい」

と、折に触れて言い続けた。

昔の書いた書を引っ張り出して見せてくれたものを、玄関に飾って「おー。いい感じや!」と褒めたりもした。(実際、結構いい感じになった)

すると、おもむろに書道用の文机を引っ張り出し、昼ドラが始まるくらいの時間に(いつもはうつらうつらしている)、墨をすって書き始めた。

「お。やってるな」と思ったら、翌日は朝の炊事選択が終わった途端(やはりうつらうつらしていた時間)、文机に向かっている。

「あんたにこれ、あげる」と言って書いたものを何枚かくれた。

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自分が同調できることはスッとできるんだな、と思った。ただ、周りの都合を考慮して優先順位を決めることが、今までのようにはできないだけだ。

今まで散々家族のために尽くしてきたのだから、それもいいのではないだろうか。厳しかった父も、心配して怒りながらもサポートしている。

「共白髪まで」

鎌倉に戻る日の朝、母がこっそり私に耳打ちしてきた。

「昨日の夜、お父さんが布団に入ってきたんや。『どうしたん?』って言ったら、『眠れんのや』って。かわいそうになったわ。本当、どうしたんやろね」

表では母を怒鳴りつけている父、裏ではそんな胸キュンなことになってるんだーー。こんなことは、多少認知症が進んでないと、母も教えてくれなかっただろう。

父83歳、母78歳。もうとうに金婚式は過ぎている。

50年以上一緒にいて、お互いに年老いても、愛情は衰えていない。そう思うと、胸の奥が温かくなる。

なんだかんだ言っても、相思相愛で居続けられる両親。

カッコよくはないけれど、いいカップルだな。生まれて初めて両親のことが眩しく見えた夏だった。










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