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今こそ再読。「比較文化論の試み」山本七平著

そろそろどこの大学に行くか決めようと、あれこれ模索する末っ子。急に何を思ったか「比較文学」に興味を持ったらしい。そこで、10数年前に読んだ山本七平の名著「比較文化論の試み」を勧めてみた。

勧めるにあたり、パラパラとページをめくっていたら、やっぱり面白くてつい読み耽ってしまった。

ざっとすくい読みして「あ、そういうことか」と思ったことがあったので、書いてみようと思います。

臨在感と文化

民族には、それぞれに共通の感じ方がある。

この「感覚」とか「感じ方」とかは、理屈がないわけですが、この社会で最も困る問題は、実はこの「理屈」にならない「感覚」なんです。
...これは言ってみれば臨在感の違いです。「臨在感」とは、物事の背後に何かがあるという感じで、これを持っていない民族はありません。

日本人は、明治の欧化啓蒙思想において、そういった物の背後に何かを感じる「感じ方」を徹底的に否定されてきた。一つの石に対して臨在感を持つことしても、それは迷信だ、非科学的だ、そういう感覚はおかしいとしてきた。

しかし、本来なら、なぜそういった感覚が起こるのか、またその感覚が、民族や人によってなぜ違うのかを、きちんと検証するべきところ。それを非科学的だから、無視しなさいとしてきたのが、欧化啓蒙思想であり、明治以降の日本の文化になってしまったと著者は語る。

ただし、感じていても、感じてはいけないとすれば、「いろんな点で誤差が出てくる」。

また、科学というものは本来、「不信」から端を発するものであり、「科学じゃないから信じてはいけない」という姿勢自体、科学ではない。従って最近の科学への不信は、実は明治的啓蒙主義への不信である。

というわけで、日本人は自らの感じ方のみならず、民族ごとにその感じ方が違うことについて、検証、検討することがないまま来てしまった。それは、他者への無理解につながるという。

これは、もう50年近く前に著されているものだが、いまだもって新しい。逆にいえば、この民族固有の「感覚」という文化を形づくっているものについての研究が、あまりにも進んでいないとも言えるのかもしれない。

日本人は物に対する臨在感を持つに対し、欧州人、ユダヤ人、アラブ人は「場所」に対する臨在感を持つらしい。

だからパレスチナ問題のように、聖地奪回に躍起になる。

そこは日本人には全然わからない感覚だ。

欧州人、ユダヤ人、アラブ人と日本人の臨在感の違い

場所に対する臨在感を持たない日本人は、逆にその場所を象徴する物を家の中に引き入れてきたという。それが仏壇や神棚であると。

当時は仏壇がなくなってテレビが出てきたと言われていたそうだが、「ある一つの対象に、あの小さい箱を通して臨在感を感ずる」ということの現れだと。

そこで、あ、そうかと思った。

コロナで日本ではStay  homeを「おうちじかん」と称して、ある意味楽しんできた。少なくとも、楽しもうとしてきた。そこにはほのぼのした家族感や、心を落ち着けてゆったり過ごそうといった印象がある。

それに対し、西欧では、「ロックダウン」という厳しい印象の言葉で表してきた。そこには親密な温かさより、拘束感や忍耐を強いられるような厳しさが前面に出ている。

日本人の家には神も仏もおわしますし、「小さな箱」、iPhoneもある。閉塞感がないとは言えないが、臨在感はおうちにあるわけだから、安心感が漂っている。

西欧諸国では、ロックダウンによって臨在感を感じる場所に行けなくなってしまった。心を鎮め、新たにしようとしても、中々できない苦悩が滲み出る。

このように、日本人に、おうち時間を楽しんで過ごす印象が強かったのは、家の中に臨在感を持ち込んでいるからともいえるのではないだろうか。外出ができなくても、西洋中東諸国に比べれば、ダメージはそこまで大きくなかったのだ。

コロナ以降急増する若者の自殺

もちろん、コロナ以降、主に10代の若者を中心に自殺が急増しており、ダメージは、決して軽視できない。特に19歳の死因のトップは自殺だという。

また、知り合いの公立小学校の校長から聞いた話だけど、女子高校生の自殺は前年比7倍だそうだ。

これはいったいどういうことなのだろう。

感じているのに無視する

あの臨在感の象徴である小さな箱(デバイス)は、その発生源が臨在感であることを忘れているように見える。

そもそも、臨在感の象徴ならば、その元となっている人の繋がりとか、地域や物といった実在があってこそ機能する。

10代の若者は、臨在感を感じてはいるが、感じないことにしているのかもしれない。臨在感を「無視」するという無謀な文化の犠牲になっているのではないか。

まずは、臨在感の発生源を見つめ直し、その時感じる臨在感を素直に感じるという経験が必要なのではないだろうか。

新しい文化の創出

著者によると、文化が破綻すると経済が破綻し、ゆくゆくは国が滅びるという。それに対し、経済が破綻したのち、文化が破綻し、国が滅びるという、逆のベクトルの例はないそうだ。

それだけ文化が、人間の生存には不可欠ということだろう。

今更のような気もするが、新しい生活様式は、新しい文化の上にしか成り立たないと思う。

まだまだ続きそうなコロナ禍、10代の若者が追い詰められないようにするには、まずは文化を、それも、無自覚の「感覚」である臨在感を、しっかりと検証し、新しい文化を作っていかなければならないのではないだろうか。






























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