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オセロゲームが苦手でも生き延びられるわけ

オセロゲームを先の先の先、ずーっと先まで読める人がいる。
私はどう頑張っても先の先までしか読めない。
ゲームの世界では絶対すぐに破れて、生き残るのは難しい。

でもそんな人間がなぜ50過ぎまで生き延びられたのか。
一応会社も経営してきたし、子供も育ててきた。
おそらく、私以外にも、オセロゲームが極端に苦手な人は多くはないにせよ、いないわけじゃないと思う。

ここに、aiと人間との大きな違いがあるんじゃないだろうか。そう思ったので、ちょっと考察してみることにした。


なぜ弱いホモ・サピエンスが生き残ったのか

ホモ・サピエンスはネアンデルタール人よりも弱くてヒョロヒョロで、何なら脳みそも小さかったそうだ。

けれど、ネアンデルタール人は生き残らず、弱いホモ・サピエンスが生き延びた。

それは、ホモ・サピエンスに物語を作り、理解する能力があったからと言われている。
物語を多くの人と共有し、共同主観として宗教やイデオロギーなどを作り上げていったのはまさにホモ・サピエンス固有の能力故。

そのベースには、卓越したコミュニケーション力と、モノの見方を常に変換し続ける柔軟さがあったはずだ。

それを考えると、オセロゲームが弱くても、現実の世界で生き延びられるのは、まさにこの2つの能力のおかげではないかと思う。

「人は一人では生きていけない」というのはまさにそういうことだろう。

一人でオセロゲームは勝てなくても、みんなで家族で、メンバーで、補い合い、助け合ってやり遂げ、乗り越えることはできる。

一人一人が弱くても、スイミーのように集まれば力になる。(あれは魚だけど)

誰かのひとりの力ではなく、人が共同主観の下に集まれば、一人で思いつけないことが思いつくし、できてしまう。一人ずつの力を積み上げた以上の大きな力が発揮できてしまうことだってある。

東日本大震災で活躍したおじいちゃんやおばあちゃん

今朝たまたま耳にしたライブ対談で、東日本大震災の時に、特別養護老人ホームに避難したエピソードが衝撃的だった。

東日本大震災で避難する場所がなく、あらゆる公共の施設や人が集まる場所が避難所になったが、その中で介護施設なども避難所になったそうだ。

ある特養では、大部屋は解放したが、重度の認知症の人たちの個室は、大混乱になる恐れがあるとして、最後まで解放しなかった。

しかし、どんどん避難してくる人たちが増え、どうしようもなくなって個室を解放せざるを得なくなった。

すると、驚くべきことが起こった。

お子さんを亡くして泣き崩れる女性の前に、重度の認知症のおばあちゃんがやってきて、頭を撫でて励まし始めた。

また、停電して火を起こしたいが、火を起こせるライターやマッチもなく、誰もが途方に暮れている中、木切などそのあたりにあるものを拾って、火を起こしたおじいちゃんがいた。

どんな人たちも、生きている以上は役に立てる。
だから病気や障害、性別や学力などで人を分けるのではなく、色々な人たちを混ぜることが大切だとその配信では話していた。

差異があるからこそ、強い


人は他の生き物とは違い、一人一人の能力が千差万別だ。

どんなウグイスもホーホケキョと鳴けるし、どんなサルでも木に登って軽快に動ける。

けれど、全ての人間が雄弁ではないし、ピアノが弾けるわけでもない。
一つの技を極めようとすれば、それこそ一生かかっても無理、ということも起こる。

こような前提があるからこぞ、人間は他の生き物と違って、共同で生き延びる能力が卓越したと考えられる。そして、卓越した技や経験を身につけた人を心から尊敬し、その美しさを味わうこともできる。
それは他者との共同生活を、より素晴らしいと感じさせ、結束を強めるのに貢献してきただろう。

AIに仕事を取られる心配なんか、するだけ時間の無駄。
AIの方がオセロは強くても、共同主観には参加できないし、美しさを味わい、称賛する美意識もないのだから。





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