「伝わる」は言葉ではなく「感覚」から
2002年から10年程、横浜を中心に学生映画祭を主催していたことがあります。日中韓から学生の卒業制作作品等を集め、プログラム化し、お見せしていました。
当時、日本映画学校(現: 日本映画大学)の校長だった映画評論家の故・佐藤忠男先生に大変お世話になりました。昨年、佐藤先生が亡くなった際に、いろいろ当時を思い出して書いたのがこちらです。
右も左も分からない主婦が、集まった作品を見て、映画祭のプログラムを考えるのですから、今思えばかなり無茶でした(苦笑)
でも、この経験は本当に勉強になりました。あの時期にいろいろ鍛えられたおかげで、今なんとか一人前に仕事させてもらってるなと感謝しています。
映画関係者の凄みを身近で体験
一番大変だったというか、やりがいがあったのは、集まった作品をセレクトし、プログラム化していくところでした。
鬼のように集まってくる作品を数人のメンバーで審査し、セレクトしていきます。中には映画館のオーナーや映画の制作の経験が豊富なプロデューサー、佐藤先生のような教育現場の人たち等、いわゆるその道のプロフェッショナルもいらしたので、私のようなただの映画好きなだけの素人には、ものすごく勉強になりました。
例えば、「映画」という大きなスクリーンで観られる作品は、スマホ(当時はまだありませんでした)やパソコンなどの、小さな画面で観られる作品とは、選ぶ視点がまるで違います。
審査段階ではせいぜいが40インチ程度の液晶。それを本番では200〜500インチくらいのスクリーンで見せるわけですから、当たり前と言えば当たり前なのですが、スクリーンで見た時を予測して、作品選びをする映画館の支配人はやはりすごいとしか言いようがなかったです。
また、「こいつは売れる」というのを見る目も、プロは非常に的確でした。
学生映画は良くも悪くも荒削りです。それに、いろいろな考えの学生が議論し合いながら、しかも制限の多い中で進めるので、いわゆる商業映画とは作り方がかなり違う。いくら監督が素晴らしい才能を持っていても、卒業制作の中では埋もれがちなのです。
そんな中で才能を見つけることは至難の業ですが、プロの目利き力は見事でした。10年くらい学生映画祭を開催した中でも、審査段階で太鼓判を押され、今や誰もが知っているような名監督になった方も何人かいらっしゃいます。
と、思わず長い前置きになってしまいました(汗)
上映作品のセレクトは本当に大変だったのですが、その作業の中で何度も不思議に思うことがありました。今日のメインテーマはそちらについて話します(前置き終わりっ)
言葉がわからなくても、作品の良し悪しはわかる
日本の作品は、当然ですが日本語なので、ストーリーも全部分かります。
問題は中国や韓国の作品です。
シノプシス程度の筋書きだけで、字幕がない状態で見たところで、いいか悪いかなんて選べない、と思いますよね。
私も最初はそう思っていたんです。でも、不思議なことに、いい作品か悪い作品かは、言葉がわからなくても、わかるんです。
恐る恐る、でも「間違いなくこの作品がいい」と感じて、他のメンバーと付き合わせてみると、大体同じような意見なのです。
さらに面白いことに、字幕がついた後に同じ作品を見ても、最初に見た印象と全く変わらない。
確かに映画は、「セリフがなくても絵だけ見てわかるように」作らなきゃいけないということはあるようです。
でもこれ、実は映画だけじゃないんです。
数年前、アフリカ系アメリカ人が警官に殺された事件をきっかけに、黒人に対する暴力や構造的な人種差別の撤廃を訴えるムーブメント"Black Lives Matter"が起こり、世界に広まりましたよね。
その際、学生の頃、卒論のテーマに選んだ作家、ジェームス・ボールドウィンが再度注目を集めました。(日本では白水社から出版されている『ジョバンニの部屋』が有名でしょうか)
懐かしくなっていろいろ調べていたら、デビュー作であった”Go Tell It on The Mountain"のペーパーバックがAmazonで買えるじゃないですか。
「いい時代になったもんだ」と思って飛びつきました。
でも、普段英語漬けの生活をしているわけではないため、英語でそれなりのボリュームの本を読むのはかなり骨です。
「たまーに気が向いたら読む」という感じで数年かけてダラダラ読んでいるという始末(苦笑)
そんなだらしのない読み方なのですが、発見があったんです。
それは
言葉がわからなくても、作品のニュアンス、筋はわかる。
ということです。
「本なのに、言葉がわからなくても『伝わる』なんてあり得ない」と思いますよね?私自身、まだ半分信じられないのですが、実際にそうなんです。
最初はわからない単語をいちいち調べて書き込んでいたのですが、だんだん面倒くさくなってきて、途中から多少意味がわからなくてもいいや、と思って読み進めました。
やはり最初は「意味わからないなー」と思いながら読むのですが、ある程度その世界に入っていくと、ある時ふと風景が目に浮かび、その場の雰囲気とか登場人物の心情が「伝わって」くるんです。
音楽は万国共通ですが、まるで音楽を聴いているかのように、感覚や心情が伝わってきます。
これは一体どういうことなんだろう。
まだ自分でも理解出来ておらず、今後さらに検証したいところなのですが、推測するにおそらく、人間は目に見えるモノや言葉で「説明」的に物事を捉える前に、「感覚」的に物事を捉えているということではないかと思います。
つまり、見て聞いて読んで、意味がわかって、感覚や感情に訴えるのではなく、その前に「ある感覚」が生じ、感覚が認識や理解の元になっているという感じでしょうか。
もし、このような感覚主導の世界であると誰もが感じられたら、人生や仕事のあり方、さらには教育の質までもかなり変わってくるんじゃないかと思います。
もし、似たような経験をされたことのある方がいたら、ぜひいろいろお話を伺ってみたいなーと思っています。ぜひお気軽にお声掛けください!
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