アリスとテレスの物語③
そのころ、アリスは、テレスと会うたびに、親友が変わっていくのを感じていました。最近では、たまに丘の上のベンチに行っても、テレスは空や海を見ることもなく、宿題をしたり、誰かにメッセージをしたりとせわしなく動いています。なんだか笑顔もぎこちなく、どことなくやつれているようにも見えました。
「ねえ、テレス」
「ん?」
「あのさ……もしかして疲れてない?」
「そう見えた?」
「なんか近ごろ、前と違う感じがしてさ……」
「え、そうかな……?」
上を向いて少し考えてから、テレスは言いました。
「最近ね、お母さんが毎日シアワセになれるためのメッセージを転送してくるんだ。だからそれに従って評価を上げるためにがんばってるの」
「評価を上げるために?」
「うん。いま代表委員をしてて先生やみんなからも頼られてるし、塾にもまじめに行ってるから、お父さんもお母さんも喜んでる」
「うん」
「テストもね、平均点以上とれるようになったの。成績が下がったら、先生やお母さんもお父さんもガッカリするし、成績の悪い代表委員なんて超かっこ悪いでしょ。だからぜったい点数下がらないようにがんばらないといけないし、学校でもいろいろ頼られてやることが多くて忙しいんだよね」
アリスはテレスが遠くを見ながら話す姿を見て、ぼそっと言いました。
「テレス、楽しい?」
「楽しい??」
は?と一瞬驚いた顔をして、アリスをまじまじと見たあと、テレスは苦笑しました。
「いや楽しいとか、自分がどうか?は関係ないよね」
アリスは、どういうことだろう?と思いました。
「関係ないの?」
「だってそれ、評価には関係ないじゃん」
キッパリと言うテレスに、アリスはしばらく考え込みました。
「でもさ、今のままでずっと生きていって、本当に幸せ? だって、テレスの気もちはどこに行ったの?」
「私の気もち?」
その時、テレスは心に重たい濃い霧がかかっているように感じました。
「わかんない……。でも、やらないと、お母さんが悲しむことになるし、先生だって期待してくれているから……。私がんばらないと」
そう言うと「そろそろ塾に行く時間だから」と、かばんを持って走っていきました。
アリスが、急ぎ足で走っていくテレスの背中をじっと見ていると、ポツポツと雨が降り始めました。
「ん? 雨……」
アリスが空を見上げると、すぐ横で「あの子は、優秀だね」と低い声がしました。
知らない間に、黒い帽子の男も、近くでテレスの背中を見ていたのです。
「あなた、いつからここにいたの?」
すると、男は質問には答えず、忌々しそうに言いました。
「きみはなんで、友だちのジャマをしようとするんだい? 彼女が評価されたら喜んであげたらいいだろうに」
「だって、最近のテレスは、なんだか楽しそうに見えないんだもの」
「わはははは」
男は、乾いた大きな声で笑いながら言いました。
「甘いなぁ。楽しいかどうかなんてどうでもいいんだよ」
その瞬間、アリスは、テレスがさっき似たようなセリフを言っていたことを思い出しました。
「あなた、テレスに何かしたの?」
「その言い方はなんだい。評価されて、みんなから頼られていく彼女を見ただろう? そんなテレスは、誰がどう見てもいい子だし、学校ではほめられ、親だって喜んでいるよ。我々は、多くの人がシアワセになるようにサポートしてるんだよ。まわりから評価されずに、シアワセなんてありえないからね」
アリスは、少し考えると首をかしげました。
「まあ、きみはまだ幼くて未熟だからわからないんだろうね」
自信満々に言う男をアリスはまっすぐ見つめて言いました。
「じゃあ、あなたの幸せは何?」
男はそう言われて、ギクリと動きを止め、驚いた表情でアリスを見ました。
「な、何を聞いてくるんだ、いきなり」
アリスは男の顔をじっと見ました。
「ねえ、あなたの幸せはなんなの?」
男は動揺した様子で言いました。
「何を言ってるんだ?」
「ないの?」
アリスのまっすぐな瞳で見つめられて、苦虫をかみ潰したような顔で男は黙り込みました。
「喜びもなく生きているの?」とアリスが聞くと、男はせせら笑いました。
「ないはずがない」
「じゃあ、それは何なの?」
アリスがじっと見ると、男は、早口で言いました。
「成績だ。成績がいいと、みんなからほめられるんだ。自分のサポートした人たちの評価が上がれば、俺の評価も上がるんでね。それが壁に張り出されていて、毎日のように成績発表がある。お金もたくさん手に入るし、ごほうびもたくさんある」
すかさずアリスは聞きました。
「じゃあ、悪いとどうなるの?」男はスッと無表情になりました。
「それは許されない」
「なんで?」
「できないやつだと思われてしまうからね。そうすると、まわりから認められなくなる。つまり俺の価値がなくなるってことだ」
「あなたは自分の価値がなくならないように、がんばってるの?」
男はワナワナと怒りに肩を震わせると、大きな声で叫びました。
「お前はいったい何を聞いてくるんだ! せっかく人間たちが自分自身を忘れて、評価を上げるのにまい進しているのを、お前みたいなやつがいると、我々のプロジェクトがうまく進まなくなるじゃないか!」
そう一気に早口でまくしたてると、ハッと口に手をあてました。
アリスは、その男をとても怪しく思いました。
「我々のプロジェクトって?」
「い、いや、仕事っていう意味だがね。まいったまいった。お前と関わると俺の成績が落ちる。いいか、テレスに近寄るんじゃないぞ! これ以上、大人の世界に首をつっこまないことだ」
黒い帽子の男は険しい目つきでアリスを見ると、くるりと背中を向けて、早足に去っていきました。
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2章 内なる世界
アリスは、それ以降、港の見える丘にあるベンチで、一人で座っていることが増えました。テレスは、日に日に忙しくなり、そこに来ることができなくなっていたからです。
ただこれは、テレスだけに起きていることではありませんでした。周りの大人たちや子供たちも、なんだか以前と違う感じがするのです。
「あ~あ、なんだか、みんな笑顔が変なんだよなぁ~。そう思うの私だけかなぁ・・テレスもなんか笑ってるようにみえないんだけど・・」
アリスは、顔をクシャクシャっとして笑う以前のテレスの笑顔を思い出していました。ここ最近、あの笑顔をみることはありません。口元は笑っているのに、以前とはどうも違う笑顔に見えるのです。
ベンチに寝転んで空を眺めると、そこには白い雲がぽっかりと浮かんで、気持ちよい風が吹いてきます。アリスはうとうとしはじめました。
すると、トントンと誰かがアリスの肩を叩くのが感じられました。夢かしらと思ってうつらうつらしていると、また、トントンと肩を叩かれます。
なんだろう?と思ってうっすらと目を開けてみると、そこには茶色の猫がいるではありませんか。猫が手を伸ばして、アリスの肩をトントンと叩いていたのです。
「どうしたの飼い主さんはいるのかな」
猫はニャーと鳴くとベンチを飛びおり、アリスの方を振り向きました。どうやらアリスについて来いと言っているような気がします。アリスはその猫の後に着いて行く事にしました。
ピンと伸ばした尻尾がゆらゆらと揺れてめじるしのようにアリスをいざなって行きます。
歩道をぬけ、草むらを抜け、しばらくすると木々が生いしげる森の中に入って行きました。
うっそうとした森の中に入ると、遠くから虫や鳥の声が聞こえてきます。足元では、木の葉のカサカサした音や枝の折れる音がしました。
ゆらめく木漏れ日の明るさをたよりに、アリスは尻尾を見逃さないように追いかけました。
ふと気づくと、随分と森の奥の方まで来ていることがわかりました。
「ねえ、ネコちゃん、どこまでいくつもりなの?」
森が深くなって帰り道がわかるか不安になってきた頃、猫は初めて振り返り、アリスに向かってニャーと鳴きました。
見ると、たっぷりのシダや蔓に隠されるようにしてポッカリとした洞穴がありました。
そこに猫が入って行きます。
「ちょっと待ってよ」と追いかけて、おそるおそる足を踏み入れてみると、中は思ったより広くて明るく、地下道のようになっていました。
いつの間にか、追いかけていたはずの猫の姿が見えなくなっています。
「おーい、ネコちゃーん。どこにいるの」と言うと、「ここですよ」とよく響く声が奥の方から聞こえてきました。
人間がいる……? その声のする方へ向かうと、そこには、人間のような背丈の、マントを羽織って片眼鏡をかけた猫が壁にもたれて立っていました。
「え?? あれ? さっきのネコちゃんは? え??」
アリスはキョロキョロとあたりを見まわしました。
「私が、さっきのネコですよ」
クスッと笑って片眼鏡をかけた猫が言いました。
「見た目……変わったよね。というか……あなた話せるの?」
「見ての通りにね。人間界で、こんな格好で歩くわけにもいきませんから。私はレイと言います。あなたはアリスですね」
「私の名前を知っているの?」
「知っています。マダム・イリーニからあなたを連れて来いと言われたのです。奥にある大広間で待っているはずです。さぁ、行きましょう」
レイの気品のある歩き姿のうしろをついて行くと、しばらく細長いクネクネとした道が続きました。いくつもの角を曲がって・・・
(アリスとテレスの物語④に続く)
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