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なぜこの団体は人がうまくまとまるのか - 読書の効用

私が所属しているある団体は、衣・食・住・家計を大切にして勉強する団体。なので自然と女性中心の団体だ。

衣・食・住・家計を大切にしていると聞くと、入っている人はあたかも家事ができる女性、夫を陰で支える日本の昔ながらの女性、内助の功さながらの女性というイメージがあるかもしれない。私もそう思っていた。

実際、家事が得意な人、家族のために社会のためにと働く(金銭的なこととは限らない)という人もいる。でも、ボランティア的なことも多いので、家が商売をして来た家庭の人は「合わへんわぁ」と言う人もいる。それでも、そういう人もなぜか続けている。

ふつうだったら、色んなタイプが集まると、カオスになる。
この団体はなぜかまとまってる。
まとまってるというか、1人1人は違うタイプなのに、うまく一緒に働いている。

身近な社会で言うと、小学校から中学、高校、大学と上がるにつれて、似た興味を持った人が集まる。それに伴って、考え方が共感し合えたり、いさかいが減る。それからすると、小学校時代はカオスだ。色んな子がいる。分別のある子もいれば、やんちゃな子もいる。自分勝手や被害妄想のあるところも、包み隠さず出してしまう子もいる。引っ込み思案だったり、おとなしい子もいる。それゆえ、葛藤やモヤモヤ、ケンカも起こる。
そのくらい色んなタイプの子がいるのが小学校。

例えて言うと、この団体は小学校の時並みの色んなタイプの人がいる。
(幼いとかいう意味で言っているのではありません。タイプが幅広いということ。)

それなのになんでこう まとまってるのか?

その一つが、みんなで読書をしているからではないかと思っている。
この団体の集まりでは、毎回たいてい読書がある。創立者の著作集の一か所を読み、感想を言う。


最初、この会に入ったころ、感想で何を言うか戸惑った。
正しい答えを言わないといけないと思ったからだ。
著者に反論したい箇所もある。著者の言うことに、関心することもあれば、賛同・共感・納得を感じる時だけとは限らない。

それがここの会員は、「上から目線だと思った」とか言う人もいた。
ふつうだったらこんな大きな団体を作ったカリスマに対して、そうは言えない。でも、カリスマに対してでも、素直な感想を言う。(まあ、もう亡くなった方で、直接お会いすることはかないませんが。)

読書の感想と言っても、本の感想だけではない。
自分がふだんの生活の中で似たシチュエーションがあった時、どう思ったか、自分の近況報告、の話になることも多い。

人が感想を言っても、人の感想にダメ出しする人はいない。
よく、グループワークをするような時に、ファシリテーターが「人の意見を批判するのはやめましょう」と最初に言ったりするけど、そう言われた訳でもない。

その空気感が、ここでは本音で話せると思う。
だんだん本音で話せるようになってくる。
ここは安心感できる場だと思えてくる。

同じ団体で他の地域のグループが、高齢化したり、若い世代が共働きで平日出れない人が多かったり、集まっても決めごとだけして読書はできてなかったりする、と言っていた。それを聞いたうちの地域の年配の方は、「読書しないからだわ」と言っていた。
読書ってそこまで重要なんだ、と思った。

読書と言っても、ただ単に本の感想を言うだけではない。
同じものを読んでいるのに、解釈の仕方が違ったり、読書にからめて自分の近況で思うところがあったり、感想を言うことで、その人の人となりが伝わって来る。

否定されることもないし、こちらも否定することもない。
ただただその人の人となりが伝わってくる。

そうすると、無駄な争いはない。
なにか言われても、こちらを否定したり、上に立とうとしているわけではないと分かるから。
ふだんから、その人を知っているから。
交わるたびに、周りの人をより知っていくから。


団体がうまく回るのに、読書って結構重要なのでは、とここの団体に入ってから思う。
社会の他の場所でも、こんなやり方をしたら、もっとうまくいくのではないかと思っている。
(その場合、共通で何を読むかが課題だけど。)


仕事や一緒に働くことって、その仕事内容だけをすればいいんじゃなくて、人と話し合ったり、お互いを分かり合ってることが思った以上に大切なんだと分かったのが、ここでの経験でした。


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