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Amazonでは手に入らない本[1]-Lignes de crêtes

文章を書く時にめったに動揺しない私が、何から書き始めていいか迷っている。この本は、そういう本だ。

行きつけの古本屋

そういえば日本では行きつけの古本屋が何軒かあった。
そこに入る度に大きく息を吸い込む私を、店主が笑って見つめていた.
古本の匂いが好きだった。
13年前、私は確かにそういう人だった。

近くの本屋で同じ匂いがした

こ洒落た佇まいの本屋が近くにあるのを知っていた。
でも何故かいつも閉まっていた。
私に売る本は1つもないと言いたげだった。

なのについ最近真っ昼間に通ったら、なんてこともなく、普通に間口を大きく開けていた。私は締め出されていた訳ではなかった。ただ時間帯が合わなかっただけだった。

ガブリエル・バンサン…

20年以上前にコレクションしていた絵本画家の名前を口にして驚いた。
自分でも忘れていた名前。
彼女の絵を愛してやまなかった。
亡くなった時には、この世の大事な一ページが閉じられたと本気で思ったほどに好きだった。

この店なら通じるかも。そんな気がした。

ガブリエル・バンサン…

店の入り口で小さな声で、フランス語で発音したことのない彼女の名前を呼んだ時、店の奥で反応したマダムがいた。

あ、やっぱり。通じた。

ガブリエル・バンサン、ありますよ。

そういって手渡された本は、私の知らないエディションで、妙に文字が多かった。不思議そうな顔をしてみせると、マダムはこういった。

ええ、エディターが違いますからね。

そっか。私の知る無口で饒舌なガブリエル・バンサンの絵は、見事なほど文章に切断され、どこにもあの空気感がなくなっていた。
その上、ガブリエル・バンサンの名作「アンジュール」は絶版になっていた。時代は変わった。それを受け入れざるを得ない事実だった。

だから多分、見るからに肩を落とし、きっと目まで潤ませていた私を救いたいと思ったのかも知れない。マダムが、もしかしたら・・・と手にとって見せてくれた本に、私は潤んだ目をあげた。

L'Enfant, la Taupe, le Renard et le Cheval

日本版では「ぼく モグラ キツネ 馬」という。この本のデッサンはスタイルこそ違え、ガブリエル・バンサンが好きならきっと好きだと思えるデッサンだった。
だから私はその本と、久々にガブリエル・バンサンと出会わせてくれた本屋へのお礼にとガブリエル・バンサンの新編集版も買って帰ったのだった。

当然ながらガブリエル・バンサンの新編集版は一度ページを開いたきり、読んでない。でも「ぼく モグラ キツネ 馬」は絵と言葉に心を奪われ、私が初めて読み通したフランス語の本となった(絵本だけども)。

その夜、彼氏にその話をした。その本屋は彼氏もお気に入りの本屋だった。まだ遠慮してあまり深く話をしなかった私を見越して、彼はこういった。

あの本屋はいい本屋だよ。

そうして数週間の後、私はまたその本屋に足を向けた。今度は常連になるために。

ドアを開けて自然と胸いっぱいに空気を吸い込んだ。懐かしい本屋の匂いだ。
あれ?古本屋じゃないのに。

私が好きな本の匂いは、旧くなった紙とインクの匂いだと思っていたが違ったらしい。あれは、生きている本の、体臭のような、息遣いの匂いだった。

特別な本「Lignes de crêtes」

日本語では「尾根線」という意味だ。尾根の一番高いところを繋ぐ線。フランス語では、「尾根線」という意味の他に、片側に傾くことなく留まることが難しい2つの状態の境界という意味があるらしい。

ちょっとぞっとした。

それは高校生の頃から自分の立ち位置を思い描く時、いつも目に浮かんでいた光景だったから。

サーカスの綱渡りのような細い線の上を私はひたすら歩いている。右に落ちても左に傾いても崖。命はなく、奈落の底へ落ちていく。ずっとそう思っていた。だから私は生きるとかいう悠長な状態を味わったことはなく、いつも死ぬか生きるか。足を踏み外したらそれでおしまい。そんな風に思っていた。あの道は「尾根線」つまりLignes de crêtes りーにゅドくれっと だった。

大人になって色んなことを経て、尾根線が見えることはあまりなくなっていた。だからなにげなく紹介されたこの本Lignes de crêtesも、そのタイトルで惹かれた訳ではなかった。ただ家に戻って意味を調べて、驚愕でしばらく口がきけなかった。それだけのことだ。

その本に惹かれたのは、とにかく挿し絵が美しかった。すべて刺繍されたものらしい。私は、プロの編み物師だった母の糸好きを受け継いでいる。もうすぐ刺繍を習い始めもする。だからその本にすぅっと惹かれていった。

もう1つ、家に帰って驚いたことがある。
裏表紙にこんな言葉が書いてあった。
Au fil qui nous relie de mère en fille
母から娘へと繋がる糸
あーやっぱり私の本だと思った。

ヒステリー症の母が唯一教えてくれたもの

それが編み物であり刺繍だった。家中に散らばっている糸に猫みたいにじゃれる私を見て、編み物を教えてくれた。

温かい母と娘の団らん、なんて可愛いものではなかった。一度教えたら放置。絶対に二度とは教えてくれない。一つでも編み間違うと全部ほどかれた。夜中に一人で泣きながら編んだ。苦しくて嫌で大暴れしながら、それでも編み終えた時、美しい長袖の総レースのモヘアカーディガンが仕上がった。

編み物を知る人なら分かるだろう。長袖も、総レースも、モヘア糸も初心者がやるようなものじゃない。正気の沙汰じゃないというレベルなのに、母は平然とそれだけを教え、私は必死にくらいついて仕上げた。

おかげで、その後は二度と母親に質問する必要がなくなった。どんなものでも自由に編めるようになったのだ。

そうやって母は私に糸を教えた。それは私の全身を流れる血のように、深く私の中に根付いた。だから私は母を思って祈ることがない。母と話したければ、糸を触ればいいのだ。糸のあるところに母はいる。糸に触れていれば私は母と一緒にいられるのだ。

Amazonでは手に入らない本

Amazonは便利だし安い。だけどAmazonで売っていない本もたくさんある。東京にいた頃、私はそんな本を探すのに古本屋や小さい個人の本屋に足を向けて店主と話し込む人だった。
でも、フランスに来て、フランス語の本を読むのが難しすぎて、本屋を訪ねる喜びまで失っていっていたことに気づいた。

特別なエディションの本や小さい出版社の本はAmazonで売らないという選択をすることも多い。このLignes de crêtesもそうである。挿し絵が全部刺繍で、分厚い紙で丁寧に印刷された蛇腹の本。Amazonで機械的に箱に押し込まれて届けられたら、今日私が味わった感激はなかったに違いない。

で、Lignes de crêtesってどんな本?

ここまで語り尽くした癖に、まだもったいなさすぎて読んでない。
だから、これは読前感想文である。でも読まなくても分かる。
これは私の宝物になる。

時々昔話を思い出すように、そんな幸せな本との出会いを語りたい。
ぽつんぽつんとしか出てこないだろうけれど、そんな幸せを分かち合えたら幸せである。


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