私の人生のテーマと、孤独な誕生日
乗り越えても乗り越えても、何度でもやってくるシュチエーション。
それが、人によって違うのだなぁと感じる今日この頃。
私の人生のテーマは、孤独とか自立、なんだろうな。
機能不全家族で育った私は、小さいときから寂しくて、誰かに愛されたくて仕方なかった。
誰も私を必要としていないというのが、ほんとうに辛くさみしくて、たまらず夜に泣いたりしていた。
誰でもそういう気持ち、少しはあるのかな?
なんかずっと、「にんげんはひとり」なんだっていうのを、ひたすらに味わう人生。
なぜか私には、困ったときにヒーローは助けはこないのよね。家族でさえ、私を支えてはくれない。
そのかわり、自分で色々できる。身軽。
離婚できたのだって、夫以外のしがらみが少なかったからだし。
もし義実家がやさしい人たちだったら、離れられなかったかもしれない。
もし実家がいつも応援してくれたら、離れられなかったかもしれない。
複雑に絡み合った人間関係がないお陰で、心を乱されることは少ない。ふとしたときに、少しさみしいだけ。
昨日、私は41回目の誕生日だった。
私はいい大人になったというのに、誕生日にお祝いしてほしいという欲求がつよい。
なんでだろう?と思うけど、これはもう小さいときからなのでよくわからない。
友達と、可愛いカフェでハッピーバースデーとチョコレートで書かれたプレートに乗ったケーキを食べたい。それを写真にとってインスタにアップしたい。
恋人と、お洒落なレストランでちょっといいコースを食べながら、白ワイン飲みたい。そして、誕生日おめでとう、って私が前に欲しいなって言ってたものをプレゼントされたい。
ドラマの見過ぎか??w
友達も恋人もふだんは煩わしいからいらないのに、さみしいときだけ人恋しくなるとは、なんたるわがまま。
わかっちゃいるけど、ここに書くくらい許してくれ。
ぶっちゃけ、昨日はさみしくて荒れましたw
年末なのもある…←言い訳
人間ってなんでひとりでは生きてゆけないのだろうね。
ひょっとしたら、外側の情報が多すぎて、お祝いされるのがいい!という価値観になってるだけなのかも。
誕生日なんて、別に一年の外の日となんら価値は変わらない…?
あ?わかった!
わかってしまった…。
「生まれてきてくれてありがとう。」
そう感じたいのだな、きっと。
どうして生まれてきたのだろう、と感じる人生だったから。
わたしもそんな風に思える人と出逢いたい。
いつか出逢える気もしてる。
思いやる関係がほしいなぁ。
チャンスがあったら、煩わしいとか言わず、人間関係もチャレンジしてみよう。
私の人生のテーマは、「チャレンジ」だ。
まわりのひとがやっていないことを、どんどんやっていく。
チャレンジと孤独は表裏一体で、どちらを認識するかで過程や結果が違ったものになるだろう。
さ、来年もがんばろ。
とりとめのないお話を読んでくださったかた、ありがとうございます。
来年もよろしくお願いいたします♡
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