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車椅子ギャルの炎上から特権について考える

※2200文字程度の記事です

車椅子ユーザーの炎上

車椅子ギャルこと、Youtuberのさしみちゃんが、駅でエレベーターに割り込みをされる様子の動画をアップし、「今日も今日とて抜かされた エレベーターほんっと嫌い」と投稿したところ、炎上しています。問題提起をした本人が、批判や誹謗中傷の的となっているのです。炎上の内容を見ていると、どうやら彼女の「態度」が気に入らない人が多いらしいことがわかりました。

「あなたみたく図々しく権利を主張する人がいるから車椅子使用者の印象が悪くなって、譲ろうと思わなくなる」「そんな態度だから譲ってもらえない」「やってもらって当たり前だと思うな」「譲ってほしいなら感謝しなきゃ」といったツイートが数多くなされています。

「不快感を表すネガティブな発言だったことが炎上の原因の一つ」と分析するジャーナリストも。どうやら健常者は、自分たちが障がい者に対して「配慮」してあげているんだから、障がい者は態度を良くして感謝しなければならない、と考えている人が多いようです。

特権の気づかなさ

しかしよく考えると、建物や設備の設計など社会のあらゆる面が、健常者が効率的に動けるように「配慮」されています。そしてそれは普段気にされることはないし、健常者はいちいち感謝を求められることもありません。

いわゆる「特権」を持つと言われる、マジョリティ※である健常者は、自分が社会から恩恵をうけていると気づきにくいのです。

マジョリティ/マイノリティについて研究する上智大学教授の出口真紀子氏は、特権を「ある社会集団に属していることで労なくして得る優位性」と定義しています。努力の成果ではなく、たまたま生まれた社会集団に属することで、自動的に受けられる恩恵のことです。

例えば、シスジェンダーがマジョリティで、前提とされている社会システムにおいて、たまたまシスジェンダーである自分は、学校などで自動的に自分の性自認に基づいた「男性」の集団に割り当てられてきました。この割り当てのシステムに違和感を感じなかったのは、僕自身の努力ではなく、たまたまシスジェンダーとして生まれた特権なのです。そして、ふだんから自分がシスジェンダーであると意識することはありませんでした。

出口氏は、特権とはゴールに向かって歩き進むと自動ドアがスーッと開いてくれるもの、と喩えています。そして、社会ではマジョリティに対して自動ドアが開きやすくなっていますが、マイノリティに対してはその自動ドアが開かないことも多いといいます。しかし、マジョリティ側はあまりにも自然に常に自動ドアが開いてくれるので、自動ドアの存在そのものに気付きにくい。特権をたくさんもっていても、その気づかなさゆえに、マジョリティ側は自分に特権があるとは思っておらず、こうした状況が「当たり前」「ふつう」だと思って生きている人が多いのです。

そして、ある場面では自動ドアが開くが、ある場面ではそうではないという人がほとんどでしょう。僕たちのほとんどはマジョリティ性とマイノリティ性の両方を持ち合わせています。僕も、ある部分ではマジョリティですが、ある部分ではマイノリティです。そして僕自身もきっと、自覚していない特権があります。

※この文脈でいうマジョリティ/マイノリティとは、単に「多数者(構成員の数が多い集団)/ 少数者(構成員の数が少ない集団)」の区別を意味しません。女性が男性に比べてマイノリティと言われることがあるのがわかりやすい例です。
マジョリティとは、人種・民族、性別、性的指向、性自認、障がいの有無、学歴などの属性を見たとき、より社会からの恩恵を受けている側の集団またはそこに属している個人のこと。上の属性の例で言うと、日本社会におけるマジョリティ性には、「日本人、男性、ヘテロセクシュアル、シスジェンダー、健常者、大卒」がよく挙げられます。(当然それ以外もあるでしょう。)こういったマジョリティ性を完璧に満たす人は実は量的には少数なのです。しかし日本社会は、このようなマジョリティ性にあったものだけが特権を得る社会システムであるため、多くのマイノリティを生み出し続けています。

特権を持つ者に何ができるか

今回の車椅子ユーザーの炎上の件で、「特権の気づかなさ」は、誰かを傷つけることにつながってしまうとあらためて感じました。きっと、彼女に対して批判や誹謗中傷をしている人たちは、無自覚だったのでしょう。自分達が普段恩恵を受けていることには気づいていない。だから、「自分達が知覚できる配慮」をされる人に対して、感謝や良い態度を求めたのでしょう。

車椅子ユーザーに対して誹謗中傷をしていた人たちは擁護できません。でも、その人たちに対して、僕は上から目線に「特権に気付けよ」と言う自信はありません。今回はSNS上の炎上をたまたま客観的にみることで、マジョリティの特権への気づかなさを目撃することができただけでした。もしかしたら僕も、自分の特権を自覚しないまま、誰かを傷つけてしまったことがあるかもしれません。

特権を持つものは、一体どのようなあり方でいるのが良いのでしょうか。マジョリティのまっとうなあり方とはなんでしょうか。今回の件は、その問いをあらためて考える機会となりました。僕は無自覚に誰かを傷つけたり、差別したくはありません。シスジェンダーの男性として、マジョリティ性を持つ人間として、まっとうなあり方を考え続けていきたいと思います。

今回は、ここまで。「特権を持つものに何ができるか」について、まだまだ自分の中で落とし込めていません。勉強し、自戒を込めて、今後このアカウントで伝えていきます。ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

〈参考〉
「マジョリティの特権を可視化する~差別を自分ごととしてとらえるために~」


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