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張麗華は本当に「悪女」だったのか?――不可解すぎる処刑

 私が小説家になろうに連載している長編小説『蓮と藤』が一昨日、更新されました。

 この小説は一応聖徳太子が主人公なのですが、まだ三分の一もかけていません。今しばらく書き溜めていた分の予約投稿が数日おきに続くと思います。

 さて、最新話は「陳の滅亡」がテーマと、舞台は中国であり聖徳太子は登場しません。駄文ではありますが、読んでくださると幸いです。

 時は中国の南北朝時代の最終場面です。北朝の隋が南朝の陳を滅ぼして中国を統一します。

 亡んだ南朝の最後の皇帝である後主・陳叔宝と、その側室である張麗華の二人は「暗君」「悪女」のコンビとして歴史に名を残します。

 あまりにも判りやすすぎる構図で、それをそのまま史実と信じるわけにはいかないというか、少なくとも私は「陳叔宝暗君説」には疑問を持っていました。

 そりゃ国が亡んだのですから「名君」ではないでしょうが、かと言って「暗君」とも言い切れません。

 陳叔宝が即位したころ、既に中国の7割近くは隋が支配していました。並の努力では亡国を防ぐことなど、出来なかったのです。

 一方、張麗華については「国を亡ぼした悪女」のイメージがあります。

 陳叔宝は執務中も張麗華を膝の上に座らせていた、と言います。張麗華は皇后ではありませんが、皇后以上の存在感を持っていたわけです。

 張麗華はさらに道教の巫覡と親交を深めていました。当時の道教は庶民の宗教で、貴族階級の間では軽蔑されていました。

 そして、最期は陳の滅亡の際に「国を亡ぼす女である」として処刑されます。

 実は、陳滅亡の際に陳叔宝を始めとする皇族の多くは殺されていません。かなり隋は「寛容」でした。ただ、張麗華だけはその場で殺されたのです。

 先日、この話を何かの拍子に父にした際、父にこう言われてハッとしました。

「それ、可笑しくないか?敵の皇帝を生かして側室だけを殺す、ってオカシイだろ。勝った側が『国を亡ぼす女』というのも変だ、真相は道教を張麗華が重用していたからではないのか?」

 言われてみれば・・・です。

 隋は仏教を推奨していましたし、道教についてはどうだったのでしょうね。いずれにせよ、張麗華が宗教界に影響力を及ぼしていたのは脅威だったと推察できます。それだと、皇帝が殺されなかったのに張麗華が殺された理由も納得できます。

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