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運営の教育。


とうとう無観客開催が決まったオリンピック。

聖火リレーもそのほとんどが中止され、

「おもてなし」の招致成功からあれだけ賑わい、
経済復活の狼煙として、ずっと期待された約60年ぶりの東京五輪は
ガランとした人影のないピカピカのスタジアムが
ただ空しいだけです。

不祥事や思わぬ災難が続いたために
「呪われたオリンピック」と、いかにも
運命や神様が決めたような言い方ですが

人間は関係ない、誰にも責任はない、単なる災難、
だと思ったら大間違いです。

そのほとんどは”人災”といえる、人為的ミスによるものだからです。

オリンピック関係の不祥事や災難はこれほどありました↓


①新国立競技場のデザイン・予算問題

②エンブレム盗作問題

③マラソンの移転問題

④森・元会長の女性蔑視発言

⑤関係者の賄賂・自殺問題

⑥コロナ禍による延期と無観客開催

⑦関係者の過去のいじめ問題


もっとあったかもしれません。

でもよくみると、どの問題も不可避ではなく、
人が自ら招いたものばかりです。
どれも原因は「人が起こしたこと」か「言ったこと」
あるいは「人選」か「人間関係」にまつわる話です。

唯一、”不測の事態”に見えるコロナすら、
アフターコロナに沸く海外諸国の現状をみると
感染対策やワクチン政策、国民の不信感を和らげるための
手綱さばきが単に下手なだけだったことに気づきます。

つまり、呪いなどなく、
すべては「運営」の問題だったのです。

オリンピックといえども、やはりスポーツイベントであり
”地球最大規模の運動会”に過ぎません。

どうしてこんなに運営がうまくいかなかったのでしょうか?

あるいは、どうしてこんなに円滑な運営ができない国に
成り下がってしまったのでしょうか?

原因をはるかにさかのぼれば、今回のオリンピック運営に携わった人たち、
<組織委員会、政府、省庁、東京都、JOC、IOC関係者>
教育にまで行き着くでしょう。

それぞれの問題ごとに責任母体は微妙に違うでしょうが、
ともかく運営が下手な人たちがこぞって主導していたのです。

「運営」とはそもそもどういう行為なのでしょうか?

大人数の企画をしたり、飲み会のセッティング、
それこそ町内運動会の運営など、
一度でもリーダーをしたことがあれば何となくわかるでしょう。

どんな種類の集まりであれ、たった何十人でも
大勢の異なる趣向や意見をまとめ上げるのは大変なものです。

学校や会社と違い、目的そのものが一枚岩ではないからです。

ましてオリンピックの場合、数千~数万人規模で
アクの強い政治家や、百戦錬磨の主張の強い外国人が相手なので
並の人物には務まりません。

かといって、日本人にとって苦手なわけでもなく、
大人数の意見調整はむしろ得意分野だったはずです。
現に、民間が行うスムーズなイベント運営はときおり称賛の的ですし、
じっさい前回の東京五輪も成功しています。


では、どういう教育が必要だったのでしょうか?


身近なところでいうと、
大人数の企画の幹事などに適任なのは、たとえば
人脈があり、判断力や交渉力に長けたリーダーシップのある人物です。

今回の<組織委員会、政府、省庁、東京都、JOC、IOC関係者>は
たしかに日本のエリート集団である反面、
適切な判断力や幅広い交渉力、優れたリーダーシップには明らかに欠けていました。
何から何まで方向性が間違っていたのは、多くの場合、人選の失敗によるもので、それは「人を見る目がない=正しい規範をもっていない」ことに由来します。

そうしたものは、机上の学問で培われるような高度な情報処理能力だけではありません。
むしろ、子どもの頃から大人数で遊んだり、ときにはケンカをするような感情的な場数が物を言うからです。

今回、それができる数少ない人物が森・元会長だったのでしょうが
倫理観の乏しさからあえなく失脚しました。
強いリーダーシップや合理性だけでなく、ときに不合理にみえるような、
人情や人の弱さを受け入れる柔軟性を併せ持つ必要があるからです。

①②⑤⑦の問題は、まさに担当者や責任者の倫理観やリテラシーの欠如が引き起こしたものでした。
これらもまた、子どもの頃から多くの人たちと接し、揉まれる中で自然と育まれるべきものです。

中核に関わった人物の多くが50-70代だとすると、
彼ら彼女らが育ったのは60年代、まさに前回の東京五輪の時代です。

夢や希望を与え、経済躍進のきっかけを作った一方で
日本という国は、運営が得意なリーダー人材をひとりも育ててこなかったのです。

「運営」という安っぽい言葉の響きが誤解を生みがちですが、
要は「ガバナンス」であり、どんな組織においても
重要な人間同士の力学を理解し、運用することです。

それには経済指標を押し上げる量産型知識人材の育成ではなく、
人心を推し量れる道徳と知恵を兼ね備えた高度なリーダーシップ教育が必要で、それはいまの日本にあまねく求められる人材教育です。

決して簡単ではありませんが、今回のオリンピックをただ残念がるのではなく、その多大な反省を糧にし、非常時でも健全で円滑な運営を紡げる次代のリーダーを育て上げる教育を目指すことが大切です。


次こそは、「未来と輪」のために。

#子育て #育児 #教育 #オリンピック

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