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古代から伝わる教育法から、最新のSTEM教育や語学教育、心を育てる情操教育まで、子育てにまつわるさまざまな記事を読むことができます。
お子さんはいま夢中になっていることはありますか? 何かを目指していますか? 勉強・スポーツ・芸術など、 どんなことをやらせたいのであれ、目指すのであれ、 子どものやる気をいかに引き出すか? それこそが親御さんに最も求められているものです。 毎日のように「〇〇をしなさい!」と尻を叩くのはしんどいこと。 誰に言われずとも、お子さん自身がやる気をもって打ち込めば おのずと〇〇が得意になり、どんどん好きになっていくでしょう。 では、好循環を回す燃料となる”モチベーション”
自分の意見を過不足なく、しかも当たり障りなく伝えるのは大切だが難しい。この原体験となるのは、やはり学級会なのかもしれない。 * 互いに異なる意見を主張し合う。 真面目なトーンで話す子、周りの顔色をうかがう子、おずおずと意見を述べる子、ふざけながら提案する子、そこには各々の個性と戦略が反映される。 腹を探りつつも、間接的に、ソフトに、ときにはダイレクトにぶつけあっていく。 会話はキャッチボールとよく言われるが、議論が過熱してくると、さながらドッジボールのようだ。 そのスト
スマホは今や欠かせないばかりか、 多くの親御さんにとって、子育て・育児にもなくてはならないツールに なっているのではないでしょうか。 あらゆる情報が瞬時に入る便利さを 子どもに与えるべきでしょうか? 与えるとして、いつ頃がよいのでしょうか? 長らく目を背けてきたこの問題ですが、考えてみましょう。 知育や知識の獲得にとても有用なのは言うまでもないとして、 目を向けるべきは看過できないそのリスクにあるでしょう。 便利さとリスクはいつでも裏表です。 金銭的リスクの他、つなが
これは教育学者ペスタロッチの言葉です。 陶冶(とうや)とは、「才能を育てること」という意味になります。 お子さんの子育てや若手の育成に苦慮している方は多いでしょう。 「こんな偉人を育てたい!」 そう思って伝記を読んではみたものの、書いてあることはてんでバラバラ。 わかりやすい偉人や天才の共通則なんて、ありません。 そもそも、伝記や人物伝に書いてあるのは、目立つイベントやエピソードだけです。 ランドマーク的な成功体験や、やらかした失敗談ばかり。 普段の生活で何をして
もともとはビジネス用語ですが、「少ない資源を効率よく使うために分野を絞る」という考え方です。これは、育児や教育にも当てはめることができます。 小さいうちはお子さんの可能性がどこにあるのか、手探りでいろんな体験をさせるご家庭が多いことでしょう。それでも、ある程度の年齢に達すると伸ばす分野を選び、リソースを集中することがカギになってきます。 ちなみに、経済的な余裕があるかどうかはあまり関係ありません。ここでいう資源とは、時間です。 誰もが平等な「時間」をうまく使えば経済的な
教育哲学者ジョン・デューイは、教育について論じた著書の中で次のように語っているそうです。 「必要なものを与える」というと、経済力やリサーチで解決できる進学などの環境整備ばかりについ目が行きがちですが、それ以前に「その子にとってのベストがわかる」ことが何より大事ということです。 教育は習い事や塾に任せっきりで、親子の会話時間が少ないのは本末転倒という指摘で、これまた現代の日本人にとっては耳が痛いところです。 親子の会話は子どもの狭い視野を広げます。知識が身につくだけでなく
AIの登場と普及で、教育現場はもっと効率化されて進化する、という論調がこのごろ一般的になっています。 一方で、万能なAIがいるなら「人間はもうそんなに根詰めて勉強しなくてもいいのでは?」との声も聞こえます。 教育、とりわけ学校教育の意味について改めて考えると、 ①「知識や手技を学ぶ」という本分の名目以外に、②「集団生活のなかで協調性やコミュニケーション力を高める」という大切な目的もあります。 シンプルに考えれば、今後①を減らし、②を増やそうという流れになります。そのこ
子育て真っ最中の親御さんのなかには、ご自身が子供の頃に受けた教育とのギャップや、時代の違いに悩んでいる方もいることでしょう。 「今やっている子育ては昔とずいぶん違うけど、本当に正しいのだろうか?」「自分の親がしてくれたことは全くできていないけど、いいんだろうか?」 遠い日をふと顧みると、そんなことを思うかもしれません。今の時代は、自分たちの子供時代とはあまりにも違うからです。 多忙のあまり、お子さんと過ごす時間が十分に取れなかったり、習い事や塾に忙殺されるお子さんがいた
ときに子どもの成長には目覚ましいものがあります。 普段はむしろ「子どもの成長ってやたら遅いな」と思うことが多いかもしれません。とりわけ小さい頃は簡単な言葉さえおぼつかず、体もすぐには大きくならないので、もどかしい日々が続きます。 ところがある日突然、それまで難しくてなかなか出来なかったことが急に出来るようになる瞬間が訪れます。 つかまり立ち、発話、パズル、竹馬…などなど。 すると、乾いた布が水を吸収するかのごとく、猛スピードで成長を始めます。 文字や数を覚えたての時期な
運動会はみるたびにいつも発見がある。 運動会というフォーマットは全国津々浦々どこも似通ったようなものだ。そして、時代が変わってもこれほど不変な催しもない。内容そのものは大して変わっていない授業でさえ、参観するとタブレットを使っていたり、モニターが進化していたり、授業の進め方が昔とは違っていたりと、なんらかの変化があるものだ。 それにひきかえ、運動会の変わらなさは半端ない。タイムカプセルのような存在が運動会だ。過去にタイムスリップしたければ、時の止まっている博物館や昔ながら
この夏、話題をさらったジブリ最新作「君たちはどう生きるか」を子どもに見せても良いか?未だに迷っている方は少なくないと思います。 ここでは「君たちはどう生きるか」が、子ども向けの作品なのかどうかについて、考えていきます。参考になれば幸いです。 (ややネタバレを含むので、気にされる方は読まないでください↓) まず、子どもといってもあまりに幼い子、たとえばトトロやポニョをふだん見せているような年齢の子は 論外でしょう。 話がわからないどころか、怖がるのがオチです。 次に小
紋切り型の受験はもともとナンセンスだと長年言われてきましたが いよいよ本当にナンセンスなものになるかもしれません。 お絵かきどころか、何でもできる”万能AI”がとうとう登場し始めたからです。 アメリカでは大学入試や大学院入試、医師国家試験、弁護士試験さえ突破しています。 翻訳ソフトも台頭して久しいですが、日本語でも同等の性能を発揮し、言語の垣根さえ超えつつあります。 AIが人間に取って代わるこれからの時代 「子どもに教えられることはもはや残っていない」と 嘆いている方もい
この頃なぜかこういう風潮があります。 「ひらがなや足し算はどうせすぐ覚える」「英語は小さい頃にやらせるとよくない」「早く仕込んでも後々すぐに追いつかれる」など、もっともらしい理由は様々です。 運動や音楽が得意な子にはのびのびやらせるのに、学習だけ抑えつけるのはそもそもおかしな話です。予習は良いものと奨励されるのに、”予習の王様”である早期教育はなぜこれほど嫌厭されるのでしょうか?
442年ぶりの皆既月食+惑星食に日本中が沸き立ちましたね。 ほぼ本能寺の変(1582年)以来の現象で、雲ひとつない好天に恵まれた観測日和のうえ1時間も続いた天文ショーに盛り上がるのも当然でしょう。 赤く輝く幽玄な月だけでなく、ちょっとした望遠鏡や双眼鏡があれば青白い点のような天王星(上の写真、月の下部)も確認できたのではないでしょうか。 地球よりはるかに大きい天王星が月にすっぽりと隠れてしまう神秘的な光景でした。日本の天王星食に限ると、過去5000年間で初だとか。 見
秋は運動会の季節。 台風が去り、晴れ間の戻った穏やかな日、 コロナコロナでろくに催されなかったこの定番行事にも ようやく光が射し込みはじめた。 いまどき競走をしても競争はない。 チームもなければ、得点もない。 相変わらず歓声は禁止。 正直、盛り上がりには欠けつつも、 これこそ今求められている姿だと納得するのに時間はかからなかった。 次の演技の最中、言い知れぬ感動が伝わってきたからだ。 この感動はいったい何だろう? よくみると子どもたちは皆マスクを外していた。 ここ数年
近頃、”ものづくり”への情熱を感じる現場があった。ベンチャーや町工場ではなく、「図工」の授業だ。 子どもの集中力は15分程度、とよくいわれる。それがどうだろうか。2時間の長丁場にも関わらず、自然体で楽しそうだ。明らかに他の教科と違う。しかも一部の子に限らず、男女問わず、全員そうなのだ。大柄な子も、やんちゃ坊主も、みるからに外国からきた子も。 テーマは「各自、楽しく使えるものを作る」。製作にありがちな一律の物でないところも、またよかったのかもしれない。 黙々とめいめいの作