議論の基本は学級会
自分の意見を過不足なく、しかも当たり障りなく伝えるのは大切だが難しい。この原体験となるのは、やはり学級会なのかもしれない。
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互いに異なる意見を主張し合う。
真面目なトーンで話す子、周りの顔色をうかがう子、おずおずと意見を述べる子、ふざけながら提案する子、そこには各々の個性と戦略が反映される。
腹を探りつつも、間接的に、ソフトに、ときにはダイレクトにぶつけあっていく。
会話はキャッチボールとよく言われるが、議論が過熱してくると、さながらドッジボールのようだ。
そのストレートな物言いには遠慮のかけらもないが、礼儀正しく譲り合う姿勢も覚えつつ、妥協点を見出していく。
たどりつく結論より、そうした掘り下げるプロセスこそが面白い。
その面白さは、学級会のこの上ないシンプルさの中で改めてみえてくる。
大人のミーティングでは、やれ社交辞令や気遣い、忖度や根回しで埋もれてしまい、こうした明快な構造はなかなかあらわにならない。
議論の本来的な愉快さを思い出させてくれる。
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意見のまとめ役はお手本のように、出席者全員に発言を促し、決して偏った議論にならないよう、議題を丹念に掘り下げていく。その過程で奇抜すぎるアイデアは訂正される。先生の加減の効いた忠告も良いのだろう。
煩わしい書類や資料に一切頼らないのも潔い。論破や罵倒、長話といった不愉快なものはなく、自由闊達に小気味良く議題が進んでいくさまは爽快そのものだった。
中東でいよいよ本格的な戦争が始まろうとしているのに、適格なリーダーとモラルの欠如から、選挙もルール無用、知事や首相さえ雨後の筍状態のこの国で、希望の光を見たような気がした。
#子育て #育児 #学級会 #学校
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