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”ものづくり”への情熱。

近頃、”ものづくり”への情熱を感じる現場があった。ベンチャーや町工場ではなく、「図工」の授業だ。

子どもの集中力は15分程度、とよくいわれる。それがどうだろうか。2時間の長丁場にも関わらず、自然体で楽しそうだ。明らかに他の教科と違う。しかも一部の子に限らず、男女問わず、全員そうなのだ。大柄な子も、やんちゃ坊主も、みるからに外国からきた子も。

テーマは「各自、楽しく使えるものを作る」。製作にありがちな一律の物でないところも、またよかったのかもしれない。

黙々とめいめいの作業に熱中し、表情はいきいきとしている。素直に指示に従い、率先してのこぎりを挽き、ハンマーをトントン叩く。機械のトラブルや、たまに交わす雑談さえ楽しそうに顔を綻ばせる。そもそもこの場では雑談が許されている。見に来ていた大人達も童心に帰り、束の間の交流を楽しんでいた。

日本人は元来ものづくりが好き」陳腐な仮説が頭をよぎるが、それだけではない。

考えてみれば、いまの子どもたちは四六時中、画面に囲まれている。学校ではデジタル教育の名のもと、タブレットやスクリーンが導入された。国語や算数の場は、何もそれによって活気づくわけではない。プログラミング授業に喜ぶのは一部であり、目につくのは不慣れな先生や戸惑う生徒だ。タブレットの常用はむしろコミュニケーションを阻害する恐れもある。

当今、子どもたちを取り巻く環境も息苦しい。ある程度の学年になると、受験の過熱で塾通いは当たり前。英語は日本語以上に求められ、本さえ読めない。習い事がひとつもない子はもはや皆無と聞く。空き地の球蹴りがサッカー教室になると、気晴らしのスポーツも競争社会だ。

遊びといえば、ゲームかスマホ。マスクと静寂を強いるコロナはさらに拍車をかけた。公園からは戯れが消え、閑古鳥が鳴く。たまに会える多忙な親もスマホ漬けか、宿題の催促。

気が休まる場のない今の子らにとって「ここ」には、画面も、比較も、競争も、予定調和もない。目も心も疲れず、純然たる好奇心を開放できる唯一の場かもしれない。快い音とたしかな手触りだけがそこにある。

AIが翻訳し、AIが絵を描く時代。昔以上に輝きを放つ人気科目に、未来への希望を見いだせる気がした。

#子育て #育児 #教育 #ものづくり


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