Tomoki Kubo

憂いのふるい

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マガジン

  • ヨーロッパ(2024.2.13~3.1)

    一人旅の記録

  • 台湾(2023.11.1~11.4)

    一人旅の記録です。

  • ソウル(2023.8.28~8.31)

    一人旅の記録です。

  • 広島・呉(2023.8.2~8.3)

    一人旅の記録です。

  • 香川・愛媛・高知(2022.11.27~11.29)

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最近の記事

函館①[2024.8.29]

17時13分、函館に到着。電車がプラットフォームに入って驚いたのは、駅の作りが簡素だったことだ。乗り場は全部で8つあり、4つのプラットフォームの両側に電車が停まれるようになっている。どのプラットフォームも屋根があるだけで、少し物寂しい。函館自体は有名だからもっと立派な駅を想像していたのだが、どうやら違うみたいだ。 駅前。 駅の前はタクシーロータリーのように円形になったバス停がある。中にはコナンのバスもある。4番乗り場だけ、やけに人が多い。翌日わかったが、4番乗り場は函館山

    • 苫小牧・室蘭[2024.8.29]

      6月にコナンの映画「百万ドルの五稜星」を見たらエンドロールがとてもローカルで、のどかで、行きたい気持ちを抑えられなくなった― というのが理由で、映画館から家に帰って新千歳空港行きのチケットを買ったのだった。社会人生活が始まって5ヶ月ぐらいが経ち、そろそろまた出かけたいなぁと思っていた頃でもある。 朝6時45分に羽田空港を経ち、1時間半で新千歳空港に到着。平日ということもあって、空港着の電車からは次々と人が降りてくるが、札幌行きの電車はガラガラだ。 だが、これから向かうの

      • ドレスデン・ベルリン[2024.2.27]

        この日はほとんど移動だった。朝10時頃プラハを出て、途中でドレスデンを挟んで、17時ごろベルリンに着いた。車で300キロ弱。あまり書くことはないのだが、掻い摘んで記憶を書き残しておこう。 まず、朝のバスでのこと。チェコからドイツに入るとき、一応パスポートを確認されたのだが、不保持の乗客がおり、プラハまで返されていた。そもそもなぜパスポートを見せずにバスに乗れたのかが不思議だが、とにかく不保持者がいたということだ。おかげさまで随分と車内で待たされた。それにしても、車内は暑かっ

        • プラハ②[2024.2.26]

          道ばたで見るのはつまらないコインランドリーも、旅行中に何度もお世話になると愛着が沸いてくるものだ。この日の朝向かったのは、今回の旅行で最後のコインランドリーである。ホテルを出て左手の坂を上っていくと広い通りに出るのだが、コインランドリーはその通りにあった。コインランドリーはまだ空いてなかった。気合いを入れすぎたようだ。店の前で、少し待っていた。 朝のプラハは、霧が立ちこめている。少し先はもう真っ白で見えない。写真をとってInstagramに上げようとしたのだが、ケータイでは

        函館①[2024.8.29]

        マガジン

        • ヨーロッパ(2024.2.13~3.1)
          20本
        • 台湾(2023.11.1~11.4)
          6本
        • ソウル(2023.8.28~8.31)
          6本
        • 広島・呉(2023.8.2~8.3)
          3本
        • 香川・愛媛・高知(2022.11.27~11.29)
          3本
        • 山形・岩手・秋田(2023.5.1~5.3)
          4本

        記事

          プラハ①[2024.2.25]

          思い立ったかのように、ヨーロッパ旅行の続きを書く。2月24日まで一人で旅行していたのだが、25日以降は高校の友達と一緒に回っていた。そのため24日で一区切りついた感があり、記録を一旦やめていた。 なぜ急に旅行の記録を再開したのかというと、多分、先日クラブに行ったからだろう。友人が外国人客に話しかける様子を見て、ドイツで泊まったホステルのことを思い出した。それで、旅行の記録、最後まで書いてないなって。 24日の朝のことは鮮明に覚えている。朝食はバイキングだった。バイキングと

          プラハ①[2024.2.25]

          ブラチスラバ③[2024.2.24]

          しばらく世界史の年号パネルに見とれていた。まだ展示は続いているので、奥に続く部屋に入った。土器がたくさん並んでいる。壁の説明を見ると、旧石器時代の説明がある。どうやら、旧石器時代から振り返りながらスロバキアの歴史を描こうとしているみたいだ。この博物館の気合いの入りようには脱帽する。せっかくだから、最初から見ていこう。 まず、旧石器時代。旧石器時代は人類の歴史の大半を占めている。最初に人類が現れたのは240万年前の東アフリカだった。彼らは次第に別の大陸に移っていった。彼らがヨ

          ブラチスラバ③[2024.2.24]

          ブラチスラバ②[2024.2.24]

          大聖堂を出て、灰色の石畳の坂を上った。坂道はブラチスラバ城へ向かう観光客であふれている。アーチをくぐって城の中に入る。弧を描くように道が続いている。右手の看板によれば、ブラチスラバ城に人が住み始めたのは紀元前のことらしい。1526年に城はハンガリー王の住居となる(1526年といえばモハーチの戦いだ。ハンガリー王兼チェコ王ラヨシュ2世がオスマン帝国に敗れたため、ハンガリーとチェコはオーストリア・ハプスブルク家の支配下に入ることになる、ということは今回の旅行記で何度か言及している

          ブラチスラバ②[2024.2.24]

          ブラチスラバ①[2024.2.24]

          朝、ブダペストのホテルを出てブダペスト中央駅に向かう。駅は大通りに沿っているので、道を間違えることはない。この日も空はどんよりと曇っている。夜の間に雨が降ったのか、道にはところどころ水溜りができている。だが、空気はそこまで冷え込んでいない。 スーツケースを引きながら歩いていると、不思議な形をした建物が道路を挟んで右手に見えてきた。向こうから手前に弧を描きながら反り上がる形をした建物と、それに対をなすように向こうからさらに奥へ反り上がるような形をした建物だ。地図で調べると、こ

          ブラチスラバ①[2024.2.24]

          ブダペスト②[2024.2.23]

          独房のようなホテルに閉じ込められてから、一晩が過ぎた。あともう1日、ここで寝泊まりすればこのホテルから解放される。そう自分に言い聞かして、身支度をした。 何も最悪なホテルに泊まっているわけではない。共同のシャワールームは温水がちゃんと出るし、同じ階に泊まっている人はすれ違えば挨拶をしてくれる。ただ、自分の部屋がサラミのような妙な匂いがするのと、あまりに簡素な作りであることに嫌気が差しているだけだ。   今日は丸一日自由に使えるので、ブダペストをのんびり見て回ることにした。

          ブダペスト②[2024.2.23]

          ブダペスト①[2024.2.22]

          2月22日の朝は、まずコインランドリーで洗濯をした。コインランドリーはホテルから歩いて40分ぐらいのところにある。イメージしていたより遠かったのと、スーツケースごと持っていったのとで、疲れてしまった。洗濯を済ませてそのままウィーンを発つ予定だったので、荷物ごと持っていく必要があった。洗濯を待っている間、本を読んで過ごした。時折、人が入ってきてはドア近くの紙媒体を取っていく。近づいてみると、地域の広報誌みたいなもののようだ。 1時間ほどで洗濯と乾燥を済ませ、ウィーン中央駅に向

          ブダペスト①[2024.2.22]

          ウィーン②[2024.2.21]

          前日にシェーンブルン宮殿のチケットを買っておこうと思ったのだが、カード決済がうまくできずにいた。当日の朝早くに行けばそれほど並ばずに済むということなので、朝の7時頃にホテルを出た。ホテルから宮殿までは1時間半弱。朝から良い散歩になった。8時半開館で、8時20分頃に到着した。幸い、まだ5組ほどしか並んでおらず、すぐにチケットを購入することができた。 シェーンブルン宮殿はマリア・テレジア以降のハプスブルク家が夏の離宮として用いたとして知られている。音声ガイドを聞きながら、皇帝や

          ウィーン②[2024.2.21]

          ウィーン①[2024.2.20]

          リュブリャナのホテルで朝食を取る。簡単なサンドがエントランスにあったので、購入した。 決して美味しくはないが、噛みごたえが合って朝食には十分だ。このホテルは本当に素敵だ。部屋は綺麗だし、エントランスにはテーブルがいくつもあって、来客がカフェを楽しめるようになっている。長テーブルではパソコンを広げて作業をしている人もいる。センスの良いBGMも空間に彩りを加えている。 緑茶のセルフサービスがあったので、ポットからお湯を入れて飲んだ。一日でリュブリャナを去るのが惜しい。 チェ

          ウィーン①[2024.2.20]

          リュブリャナ[2024.2.19]

          14日から5日間滞在したイタリアを離れ、スロヴェニアに向かう。バスは10時半頃にヴェネツィアのマルコ・ポーロ空港から発車する。 30分前に空港に着いたものの、バスの乗り場がわからない。空港のインフォメーションで訪ねたが、round cornerにあると言われただけで、よく分からなかった。 空港を出て、他のバスの係員に聞いてみると、「あそこにiマークが見えるだろ、普段はあそこに停まってる。まあ、自分のバス会社じゃないからわからんけど」と教えてくれた。 そこは、ロータリーの

          リュブリャナ[2024.2.19]

          ヴェネツィア[2024.2.18]

          今日はヴェネツィアへ。フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅で7時20分頃出発の電車に乗り込む。 これから乗るのはフレッチャロッサ。昨日、ローマからフィレンツェに行く電車で車窓から見えていた、真っ赤な赤い高速列車だ。かっこいいと思っていただけに、これに乗れて嬉しい。 旅行の記録を書いて過ごした。途中、ボローニャあたりで窓の外に目をやると、霧で何も見えない。中部イタリアあたりは霧が深いみたいだ。 眠気に襲われて、気づいたらヴェネツィアまで来ていた。9時半前にヴェネツィ

          ヴェネツィア[2024.2.18]

          フィレンツェ②[2023.2.17]

          ミケランジェロ広場からフィレンツェの町並みを眺め、再びアルノ川を渡ってフィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅まで向かった。 もう少し見て回っても良いのだが、観光地はどこも人でいっぱいなので、ホテルにチェックインしよう。駅に預けておいたスーツケースを受け取り、Googleマップで地図を確認し、だいたいの感覚で歩き始めた。 フィレンツェの中心部を離れるや否や、歩いていると少し暗い気持ちになった。道がさびれているとか、汚いとか、そういう訳ではないが、どこか寂しさを感じてしま

          フィレンツェ②[2023.2.17]

          フィレンツェ①[2024.2.17]

          今日はフィレンツェに向かう。テルミニ駅7時2分発の電車だ。まず、ホテルのあるトッレ・アンジェラ駅からテルミニ駅まで行かなければならないが、これが40分ほどかかる。したがって5時過ぎに起きた。ローマ中心部から遠いホテルをとってしまったことが悔やまれる。もっと近ければもう少し寝れていたのに。 なんだかんだ記憶に刻まれることになったトッレ・アンジェラ駅。改札を通り抜けたときは1人しかプラットフォームにいなかったが、ぞろぞろと人がやってきた。 電車に乗ってから数えたが、サン・ジョ

          フィレンツェ①[2024.2.17]