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「DEATH〜死とは何か」

去年のFBより

身近に、死が近い老人が2人もいるもので(笑)。

米・イェール大学の哲学教授の人気講義をまとめたもの。

死の定義から始まって、身体の死と認知機能や脳の死の考察、どういう状態をいうか、死を取り巻く態度や考え、死の考察などなど、ちょっと難しい形而上学的なことをわかりやすく書いてると思うけど、死で考え得る屁理屈を捏ね繰り回してゴチャゴチャ述べてる感じ。哲学だからしょうがないだろうけどさ。

結局、「価値のある、より良い人生を生きるために自らに死を問うべきだ」なんて、誰でも言えそうなことを、もっともらしくのたまってて、なんだよ、そりゃ!ってシラけたよ。ホントに人気の講義なのか?レベル低っ!

死を考えることで生についても考えるスタイルなんて、もういっぱいあると思うよ。

この教授の風貌からして、机の上であぐらをかいて(失礼なヤツだ)、ヒゲ生やしてて、大嫌いなヒッピーみたいでケッ!ってなもんだぜ。

俺に言わせれば、死とは生物的に活動が止まった状態で、本人にとっては全てが「無」。ナニモナイ。当然、意識も、概念も、思考も、死後の世界も、霊も、何もなくて、その死について、アレコレと考えを巡らせるのは、まだ生きてる周りの人間がする事で、死んだ本人はいくら盛大に葬式をしようが全く関係ないし、何もない。それだけ。

順番で行くと老人どもは死に近いわけだが、死についてどう考えているのかな?覚悟はしてるのか?寝る、食べるなどの欲望で故意に忘れてしまい、そういうことは考えないのか?

概念よりも脳科学的に死に至る間に人の意識はどのように変化していくのかなどを知りたいね。
死について考えることができるのは人間の特権だ。

人間は、なぜ生きるのか、何のために生きるのか…は、昔から散々言われてきたことで、それによって、素晴らしい表現等がたくさん生まれたわけだが、多分、そこに意味なんてない。生きてるから生きるんであって、なぜなんて解答を求めること自体に意味はないだろう。それぞれ、あれこれ考えて葛藤し、意味を見出すことで糧にすることはあると思うが。
ある意味、苦悩することは生きること。快楽に溺れて生きるも、快楽を抑制して生きるも、両方、生きることだ。

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脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。