【邦画】「どん底」

黒澤明監督の、1957年のモノクロ映画「どん底」。

ロシアの作家ゴーリキーの名作を、江戸時代の、傾いた貧乏長屋に寄り集まって住む人々に置き換えたもの。

待ってました!これぞクロサワ映画ってなもんで、飲んだくれの薄汚れた最底辺の人間たち(“路地”みたい)の泥々とした悲喜交々を徹底的にリアルに描く。喜びはあまり見当たらないが。

長屋の室内とその周辺だけの狭い空間が舞台で、多分、予算もかけずに作られたと思われる。

三船敏郎はいても、主人公となる特定の人物がいなくて、崖に囲まれた陽の当たらない貧民窟のようなところで、どん底の生活を強いられる男と女が、深酒して博打を打って、愚痴を言い合い、貶し合い、喧嘩して、時に、楽天的に歌って踊るという、落語にもありそうな展開に終始する。

ただ、左卜全(ヒダリボクゼン)演じる、お遍路の途中に寄った巡礼のジジイ(主役級?)が、宗教者か一休さんのようで、皆の話を平等に聞き入れて、安らぎを与えて、諭して、慈悲深く説いて回る。そして、自らも暗い過去を持つため、長屋で起こった騒動の中、突然、姿を消す。

クロサワさんは、役者のみにスポットを当てたと思え、それぞれの役者の個性と人間性が際立ってる。いつも通りに皆、一様に汚い。女の、声を張り上げて暴れて泣き叫ぶ姿は凄まじい。やはり、これぞクロサワ映画だね。

長屋に巣食う人間たち一人一人の人間模様を、これでもかと徹底的に描く。クロサワさんなりの人間讃歌だ。

そういえば、クロサワさんは、ロシア(ソ連)でも映画を撮っており、暗い人間性を描くロシア文学が好きなんだね。

「安らぎの地は、見つける気になりゃ見つかるもんだよぉ」

「確かに、あのジジイは嘘をついた。しかし、それは薬のつけようもねえ奴を不憫に思ってのことよ。この世の中にゃ、嘘でつっかい棒しなきゃ生きていけねえ奴もあらあ。ジジイはつまり、そこんとこを知ってたってだけのことさ」

「どんな人間でも大切にしてやんなきゃいけないよ。だってさ、わしらにはそれがどんな人間なのか、何をしに生まれてきて、何をしでかすのか見当もつかないんだからねぇ。ひょっとしたらその人間は、わしらのため、世の中のためにどえれえ良いことをしに、生まれてきたかもしれないじゃないか」

「なるようにしかならねえよ」

「どうせ人間は同じことを繰り返すだけだ」

どうせなら左卜全のようなジジイになりたい。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。