「大峯千日回峰行」

人は(俺だけ?)、障害者になると、こういう本を読むようになる。笑

仏教、禅関係の本を結構図書館で借りたりして斜め読みした。きっと、いろんなものを失うと自分を見つめたくなるのだろう。かと言って「悟り」を得たいとか、そういうものではなく、なんか生き方の指針を得たいのだと思う。もともと悟りなんてものはないし、自分探しなどで自分を見つめても死ぬまで、いや死んでも回答なんか得られるものではない。イタくなるだけだ。

修行、苦行…なんでこんなに自分を苛め抜くのか?わからんが、仏がお釈迦様がどうのこうのより経験を得たいのだと思う。普通、人ができない経験を得れば、尊敬されるし、自分が大きくなった気がするものだ。
それより、今ある自然を全て受け入れて流す、愚痴らず、失敗してもあるがままに生きる、修行の先にあるものはこれではないか?漠然とそう考える。言葉にすると簡単だが、なかなか日常を送る上でできないものだ。だから苦行を課す。そして、目的は人のために生きることにある。人のためを思っても、結局自分のためだったことはあるから。

俺の障害は高血圧になった不摂生の結果だが、やはり悪行がこういう結果を招いたと思いたい。いろんな人に迷惑かけたし、俺を恨んでる人もいるだろう。
毎日のリハビリは、俺にとっては修行である。結果的には自分のためなんだが、それより人のため、身内含めいろいろ迷惑かけた人のため、特に大好きな子のため(笑)、と届かないだろうけど勝手に思いたい。だからもっともっと苦行を課さないとダメ、甘えてのんびりリハビリなんてダメだな。

こういうことを考える俺は老けるな。(爆笑)

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脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。