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「ドクトル・ジバゴ」

「ドクトル・ジバゴ(Doctor Zhivago)」(65年・米伊合作、デヴィッド・リーン監督)。

米アカデミー賞5部門の賞を貰った古典名作だけあって、DVD2枚組(200分)と長いけど、やはり素晴らしかった。俺が生まれた頃の映画なんだなぁ。

舞台の中心は革命直後のロシア(ソビエト連邦)。

ストーリーを簡単に言えば…ロシアの青年医師で詩人でもあるユーリがブルジョア娘のトーニャと結婚して順風満帆の生活を送っていたが、革命の時代に翻弄されて家族もろとも弾圧を受けて、さらに、前にあるクリスマスパーティーで出会って魅了された17歳の少女ラーラと運命的に出会い、2人は不倫の関係となるが、国外脱出を目論み、別れ別れになって、その後、ユーリはモスクワに戻り、街中でラーラを見かけて追いかけるが、心臓発作で倒れ、ラーラに気付かれることなく死んで、ラーラは強制収容所送りとなって生死もわからない…ということを、ソ連邦将軍のユーリの腹違いの兄が、ユーリとラーラの娘に確認してるといった流れ。

まさに壮大な一大叙事詩と言ってもいい歴史大作で、音楽も「ああ、これかぁ」と知ってたりする。

人間なんてちっぽけで吹き飛んでしまうようなロシア大陸のだだっ広い雪の原野には感動を覚える。凍える大地に、病んだユーリも灰色のファンデを塗ったような顔になってて、昔の映像だけど視覚的効果は充分にある。黄色い向日葵だけが鮮明だ。

ボルシェビキだったラーラの夫も参加した労働者デモから始まり、ロシア革命が勃発して、当初、「労働者が中心の平等な社会が来たんだ!」と喜ぶも、レーニンが帰って来て、革命の名の下に家も財産も取られて、徹底的な弾圧に収容所送りという地獄のような世界がやって来る。

あちこちで赤衛軍と白衛軍、パルチザンが戦い、ユーリが書いた詩も私的で反政府的だとして彼は追われる身に。

俺的にはこの辺りが最も興味がある場面だが、コミュニズム(共産主義)というのは人間の本質である“欲”をも押さえ付けようとするために徹底した管理体制と強制収容所が必要となって歪な社会になるのだね。やはりコミュニズムはあくまで“夢”であって決して実現させてはならないのだ。コミュニズムとファシズムはほぼ同様だ。

この映画は公開当時はソ連が怒っただろうな。当然本国では上映禁止で。

そういう意味ではプロパガンダ・ムーヴィーかもしれないが、結局、奥さんとラーラの間を行ったり来たりの優柔不断男の勝手な不倫のメロドラマかもしれない。でも、ユーリもラーラも痛いほど人間的で自分の感情に忠実なだけ。

ラーラ「私たち、もっと前に早く出会っていたら…」、ユーリ「言うな。むなしくなるだけだ」。

わかっちゃいるけど、そうは決してならないという人間の性(サガ)が震えるほど好きなんだ。

その2人を革命のうねりが握り潰して、非人間的なコミュニズムが弾圧するというところにリーン監督が意図するものがあったのではないだろうか。

「アラビアのロレンス」も素晴らしかったけど、今度は「戦場にかける橋」か。

スケールがデカ過ぎる人間賛美の物語といったところかな。

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脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。