「介護殺人」

俺も、もし親父を殴って殺してたら(今はバアさんだけど)、どうなるかなぁと想像して、こんな奴のために人生を棒に振ることはないと悟り、決して手をあげることはなかったが…。

まだまだ短い期間だけど、一応、俺も在宅介護の経験者だからねー。

本にはたくさんの例が載ってるけど、介護殺人を犯すまでに追い詰められる状況はほとんど同じだ。

公共の施設やヘルパー等を不備であっても充分に利用することはなく、「最期まで面倒を見るのは私しかない。私が側にいなければ彼、彼女はダメだ」と大きなカンチガイをして、介護者が自分で自分を追い込んでいる。

そして、たいてい孤立して、介護うつ等を発症して、「苦しそうだから、いっそのこと、もう楽にしてあげよう」とある日突然、首を締めたりするのだ。

介護者の身勝手な考えなのである。また舞い戻ってしまうDV被害者と一緒だ。

身内だからと思い入れタップリの介護はやはり間違いしか生まないと思う。相手はすでに壊れかけた、もしくは壊れた人間で、経験さえも役に立たなくなって、まともな対応ができないのである。

ある程度、距離を保って接することで、本人ができなくとも“独立”を念頭において対処すべきだと思う。

手取り足取り過剰にヘルプすることで、本人も無意識に甘えてしまい、できることもできなくなってしまう。それで介護者ができないと本人はイライラが募り暴言を吐くようになる。

最低限の対処をしたら、あとはどうなろうとほっとく勇気も絶対に必要で、もし重篤な事態に陥ったとしてもそれが本人の人生なのだ。

また、俺も散々、ケアマネやヘルパー、友人らに、「まともに対応してたら貴方が壊れる」と注意されたが、認知症から来る罪のないボケの類いは流すとしても、俺に関わることや俺に恥をかかせるようなことに対しては、決して手はあげないけれど、ブチ切れて怒鳴ったりまともに対応してる。引いてはそれが相手を独立した人間として接することにも繋がってくると思うからだ。

これから5人に1人(?)は認知症になる時代が来るというけど、公共の介護事業がまだまだ不備だらけなのは事実で、外ばかりを見てる国賊政権であればそうなるのも仕方がなくて、不満ばかりを言ってても何も始まらない。我々は選挙で対応するしかない。お金の面もあるが、まず介護者の意識改革、カウンセリングも必要だろう。

孤立しないためには、恥も外聞も捨てて積極的に外に出て全てを話すべきだと思う。俺みたいに図々しく。介護者の集まりも公的な相談所もけっこうあるものだ。

究極の選択は、まだ先のある自分を優先して捨てて逃げることだ。自分の問題に対して介護を理由に逃げてはダメだ。

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脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。