「コーちゃんと真夜中のブランデー」

デコちゃんのエッセイ、3冊目(だっけな?)。一回好きになると全部、読みたくなる俺。

いつもながらの軽快なエッセイだけど、珍しく、最初から育ての母親のことを書いてるなぁと思ったら、後記で、デコちゃんの養子となった斎藤明美氏が、養母の毒親ぶりの実態についてズバズバ書いてて、デコちゃんも女優としては大成功を収めたが、意外と不幸な生い立ちだったんだなぁとビックリして感慨深くなったね。

実の母親はデコちゃんが4歳の時、結核で死んでる。父親は不明。

エッセイでは、養母について、受け入れて感謝の文章を記しているが、斎藤氏は、怒りを滲ませて「もはや私は、絶句した」と書く。なにせ、養母が死んだ時に、周りの誰もが“死んでよかった”とデコちゃんに慰労の言葉をかけたくらいだから。

養母は、書くにははばかれるような人物だったという。

デコちゃんは、女学校を辞めて、好きでもない女優を続けることになるが、それは養母をはじめ、養母が北海道から呼び寄せた親戚数十人を養うためだった。

つまりは養母は、とんでもない金の亡者だったのだ。

嫌気がさしてデコちゃんがパリへ逃亡していた間、頻繁に「カネオクレ」と電報をよこし、帰国してみれば、実家(デコちゃんが買った土地)は勝手に料亭に変貌していて、デコちゃんは追い出され、松山善三と結婚する時、貯金がわずかに4万円しかなく、仲人や映画監督に借金しなければならなかった…etc。

もう、とんでもない毒親のエピソードだけでいっぱいいっぱいになったけど、このエッセイを書いた時点では、デコちゃんを金ズルとしてしか見てない養母や親戚は、まだ健在だったから、本当のことは書けなかったのだ。だからデコちゃんは、このエッセイで母親との理想とする関係を書いたのではという。

例えば、「放浪記」の“花の命は短くて…”の明るく突き抜けてはいるけど、どこか寂しさと悲しさをかんじさせる演技は、こういう体験があるから故なのか?

銀座でデコちゃんの展覧会をやるみたいだねー。いいなぁ、行きたいなぁ。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。