吉永小百合さん

吉永小百合さんと浜田光夫さんの恋愛劇をニヤニヤしながら観る中年“片麻痺”クソオヤジ…。

「私たち、愛を確かめ合ったの。自分の身体の中の一番大切なものを、精神的にも肉体的にも一番大切なものを、私に伝えようって、彼は、力一杯、私を抱きしめてくれたのですもの」

「愛は美しいとは限りません。血みどろの愛だってあると思います。愛は変わるものです。愛は流れていくものです。だから愛は尊い、真実の瞬間が短いから、皆、愛を掴もうとするのです。私の中には何人も美しい人がいます。その人たちを、どうして同じように好きになってはいけないの?」

クーッ。(≧∇≦)

主な相手役の浜田光夫さんは、なんか軽い感じがして、恋人というよりも、弟みたいではあるが。

俺も、昭和の中年ジジイよろしくサユリストになったかもだが、現在、Amazonプライムで観れる、1960年代の吉永小百合さんが出演する日活作品を少しづつ観たのだ。

代表作は「キューポラのある街」(昭和37年・浦山桐郎監督)だけといわれ、他は、お手軽に作った、エンタメオンリーの、監督の独りよがりにも思える、稚拙な脚本と演出の作品がほとんどだったが。中には、上質のエンタメや重いテーマ、感情の揺らぎを上手く表現した作品もあるけど。

俳優・女優がめっちゃ輝いていて素晴らしい演技をする反面、監督のやり方や脚本、演出がそれに追い付かないということもあるんじゃないか。

小百合さんは、映画で女優として育つことはなくて、日本を代表する女優ではあるが、残念ながら“名優”と言われることはないと思う。

しかし、もったいないなぁ。小百合さんは、映画界ではあまり恵まれてなかったのではないかしら。デコちゃん(高峰秀子)みたく、小津、溝口、成瀬、木下、黒澤などの素晴らしい監督の映画に出てたなら…。

吉永小百合さんといえば、永遠の清純派であり、多数のサユリストを生んだ女優であったと思うが、男が清純派を好きになるということは、女性は穢れを知らない清純な存在であってほしいと願う身勝手な思いから来ているのだろう。そこにだけ価値観を見出しているわけだ。つまりは、自分の母、母性は自分だけのものであってほしいと願う幼児性にも結び付いていると思う。それは男性性の持つ根源的なものだから、ある意味で仕方がないことだろう。

各作品の背景には、戦後の、女性の自立と独立がある。加えて、新時代の女性ということと女性が幸せになるということがある。ということは、この時代には、まだまだ男尊女卑で、そんなことは程遠いということだろう。

小百合さんはじめ、出演者たちの丁寧な言葉遣いとちゃんと最後まで説明する話し方には感心するね。古いけど気持ちがイイ。

小百合さんは、大口を開けてアハハと笑うよりも、独り思い悩む表情がよく似合う。が、やはり浜田光夫さんなど他出演者の存在が霞むほど輝いている。目を剥いて驚いたり、はにかんだり、恥ずかしさを隠して怒ったり、ショックを受けて悲しんだり、ちょっと下品に笑ったり、戸惑ったり…若い頃から表情が豊かだし、やっぱり中年ジジイから観ると、とてもカワイイ。

当時の東京や地方の風景、文化、流行りを観察するのも面白いけど、それだけだなぁ。魅力があるのだから、つくづく残念だと思う。

以下、観た作品

若い東京の屋根の下(1963年、斎藤武市監督)
青春のお通り(1965年、森永健次郎監督)
美しき抵抗(1960年、森永健次郎監督)
恋のハイウェイ(1967年、斎藤武市監督)
こんにちわ、20才(1964年、森永健次郎監督)
風と樹と空と(1964年、松尾昭典監督)
泥だらけの純情(1963年、中平康監督)
あすの花嫁(1962年、野村孝監督)
明日は咲こう花咲こう(1965年、江崎実生監督)
帰郷(1964年、西河克己&白鳥信一監督)
雨の中に消えて(1963年、西河克己監督)
波浮の港(1963年、斎藤武市監督)
大出世物語(1960年、阿部豊監督)
真白き富士の嶺(1963年、森永健次郎監督)
斜陽のおもかげ(1967年、斎藤光正監督)
花ひらく娘たち(1969年、斎藤武市監督)
白鳥(1966年、西河克己監督)
四つの恋の物語(1965年、西河克己監督)
この若さある限り(1961年、蔵原惟繕監督)
さようならの季節(1962年、滝沢英輔監督)
ガラスの中の少女(1960年、若杉光夫監督)
愛と死の記録(1966年、蔵原惟繕監督)
光る海(1963年、中平康監督)
黒い傷あとのブルース(1961年、野村孝監督)
浅草の灯 踊子物語(1964年、斎藤武市監督)
キューポラのある街(1962年、浦山桐郎監督)
美しい暦(1963年、森永健次郎監督)
あゝひめゆりの塔(1968年、舛田利雄監督)
青春の風(1968年、西村昭五郎監督)
青い山脈(1962年、西河克己監督)
上を向いて歩こう(1962年、舛田利雄監督)
霧笛が俺を呼んでいる(1960年、山崎徳次郎監督)


あゝ

脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。