【邦画】「菊とギロチン」

2018年に公開された「菊とギロチン」。監督は瀬々敬久。前から観たかったけど、Amazonプライムにあったぜ。3時間を超える長い映画だ。

関東大震災後の大正時代末期、東京近郊で興行を行う女相撲の一座と、ギロチン社のアナキストの若者らの交流を描く。

両者とも当時、実在し、女相撲は、力自慢の女たちが薄い肉襦袢を着て相撲を取るもので、全国に20団体ほどあって、地方巡業を行なっていたらしい。余興で曲芸や舞踏もあって、小人プロレスみたいなものだろうか?

ギロチン社は、中浜鉄、古田大次郎らが結成した、無政府主義を掲げるテロリスト集団で、権力側の人間に対して、いくつか襲撃事件を起こしているが、いずれも失敗している。

実際には、両者に交流はないけど、もしあったらというフィクションである。

有名な大杉栄をはじめ、俺も名前は知ってる中浜鉄、古田大次郎、和田久太郎、村木源次郎他、ついでに正力松太郎まで出て来るが、この映画を観る限り、当時の無政府主義者(アナキスト)連中は、享楽的で、無計画で、ただ無軌道でハチャメチャな、自暴自棄な若者として描かれている。

女力士は、女性というだけで、理不尽にも搾取・迫害され、様々な困難に直面しており、それでも逞しく生きている様子が描かれている。

一応、格差のない平等な社会を作ろうという名目で、金持ちから金を奪って貧乏人に配り、権力者を殺生暗殺するために暗躍するギロチン社グループだが、やはり、無政府主義のイデオロギーよりも、大正末期の戦争前の不穏な社会の中で、閉塞感漂う時代の雰囲気に風穴を開けるべく、意図せずに、自暴自棄に跳ね上がってるように思える。

夫のドメスティック・バイオレンスから逃げて来た新人力士の花菊は、強くなりたいという思いで入門、厳しい稽古を積んでいく。朝鮮人である十勝川は、本国で迫害されて日本に強制連行されて来るが、言い寄って来る男たちに身体を売ったりしている。

興行として官憲の取り締まり対象にもなった女相撲を通して、男に依存することなく、自立する強い女性になることを望む女たちと、自由のためにテロを実行する若者たちは、当時の社会のアウトサイダーであるが、女たちがシッカリと大地を踏んでいるのに対し、男連中は、夢を見るばかりでミスが多くて、頭デッカチで弱い。

「結局ダメなんだ。何をやっても変わんねえ。弱い奴は一生弱い」と女たち。

後半、暴力的な男に虐げられる女、また、その女を助けようとするが弱くてダメな男と、理不尽な争いの連続で、だんだんと観てるのが辛くなってきた。

関東大震災後の自警団の非道な姿と彼らのジレンマも描かれているし。「福田村事件」を観る前に観て良かったかな。

女力士とアナキスト、恋愛感情も含めて心の交流で、一時、自由を満喫して希望を見出しても、暗い時代に翻弄されるしかなかったという哀しい物語だった。

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中浜鉄(富岡誠)の詩

『杉よ!
 眼の男よ!』と
俺は今、骸骨の前に起つて呼びかける。
彼は默つてる。
彼は俺を見て、ニヤリ、ニタリと苦笑して
ゐる。
太い白眼の底一ぱいに、黒い熱涙を漂は
して時々、海光のキラメキを放つて俺の
顔を射る。
『何んだか長生きの出來さうにない
 輪劃の顔だなあ』
『それや――君
 ――君だつて――
 さう見えるぜ』
『それで結構、
 三十までは生き度くないんだから』
『そんなら――僕は
 ――僕は君より、もう長生きしてるぢや
 ないか、ヒツ、ヒツ、ヒツ』
ニヤリ、ニタリ、ニヤリと、
白眼が睨む。
『しまつた!
   やられた!』
逃げやうと考へて俯向いたが
『何糞ツ』と、
今一度、見上ぐれば
これは又、食ひつき度い程
あはれをしのばせ
微笑まねど
惹き付けて離さぬ
彼の眼の底の力。
慈愛の眼、情熱の眼、
沈毅の眼、果斷の眼、
全てが闘爭の大器に盛られた
信念の眼。
眼だ! 光明だ!
固い信念の結晶だ、
強い放射線の輝きだ。
無論、烈しい熱が伴ひ湧く。
俺は眼光を畏れ、敬ひ尊ぶ。
彼に、
イロが出來たと聞く毎に
『またか!
  アノ眼に參つたな』
女の魂を攫む眼、
より以上に男を迷はした眼の持主、
『杉よ!
 眼の男よ!』
彼の眼光は太陽だ。
暖かくいつくしみて花を咲かす春の光、
燃え焦がし爛らす夏の輝き、
寂寥と悲哀とを抱き
脱がれて汚れを濯ぐ秋の照り、
萬物を同色に化す冬の明り、
彼の眼は
太陽だつた。
遊星は爲に吸ひつけられた。
日本一の眼!
世界に稀れな眼!
彼れの肉體が最後の一線に臨んだ刹那にも、
彼は瞑らなかつた。
彼の死には『瞑目』がない。
太陽だもの
永却に眠らない。
逝く者は、あの通りだ――
そして
人間が人間を裁斷する、
それは
自然に叛逆することだ。
怖ろしい物凄いことだ。
寂しい悲しい想ひだ。
何が生れるか知ら?
凄愴と哀愁とは隣人ではない。
煩悶が、
その純眞な處女性を
いろいろの強權のために蹂躪されて孕み、
それでも月滿ちてか、何も知らずに、
濁つたこの世に飛び出して來た
父無し雙生兒だ。
孤獨の皿に盛られた
黒光りする血精に招かれて、
若人の血は沸ぎる、沸ぎる。
醗酵すれば何物をも破る。
死を賭しての行爲に出會へば、
俺は、何時でも
無條件に、
頭を下げる。
親友、平公高尾はやられ、
畏友、武郎有島は自ら去る。
今又、
知己、先輩の
『杉』を失ふ――噫!
『俺』は生きてる。
――やる?
――やられる?
――自殺する?
自殺する爲めに生れて來たのか。
やられる爲に生きてゐるのか。
病死する前に――
やられる先手に――
瞬間の自由!
刹那の歡喜!
それこそ黒い微笑、
二足の獸の誇り、
生の賜。
『杉よ!
 眼の男!
 更生の靈よ!』
 大地は黒く汝のために香る。
 
1923・11・10

青空文庫より


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。