「古山高麗雄伝」

小説は読んだことないけど、戦争を書いた作家、古山高麗雄(フルヤマコマオ)の名前は知ってた。図書館で借りたこの伝記を読んで、メルカリで短編集をゲットした。

「彼は戦争を善悪では見なかった。それが小説家の務めだと思ってた」の一文を見て読む気になったのだ。

朝鮮で生まれた彼は、ビルマなど南方戦線に出征、一等兵となってラオスで終戦を迎えた。

捕虜収容所でフランス軍軍医を平手打ちしたことをキッカケにBC級戦犯として拘束されるも、未決通算によって即釈放、軍曹となって復員した。

古山は、兵士としてフィリピン・マニラにいた時から、「日本人が日本人であるという理由だけで、南方の民族より優れているような気になってはいけない。自分は現地人とは全く変わらぬ心で付き合いたい」と書いてて、その一方で、朝鮮人を差別することに抵抗を感じなかった自分のおかしさを自覚してたりした。

戦後に、自分が軍曹として戦争に参加した罪を犯したという意識はなかった。戦争裁判=報復裁判であること、戦争犯罪者は戦勝国が敵を一方的に処断するためにつくられたものであるという考えだったからだ。

古山は、終生、戦争体験にこだわったけど、それを文学にする際に、「戦争の悲惨さを強調してしまうと文学に逃げられる」と考えてたという。彼は自分の体験を“押し売り”することはなかったのだ。

三島由紀夫は、彼の文学について、「体験の曲折の上に、悲喜哀歓と幸不幸に翻弄された極致に、デンとあぐらをかいた、晴朗そのもののノンシャラントな作品で、苦味のある洗練は疑いようがない」と指摘している。古山自身は三島を“死を美化する作家”として嫌ってたが。

書くことについて、「何よりも人生のためにある。結局は人生をどう把握するか、生き方をどう把握するか、最後はそこへ行ってしまう」という古山が特に信じたものは“運”だった。「人間は全部運だ。100%運だ。努力なんて関係ないね。努力して何とかなるというのは全部嘘だ。運に左右されて生きる他ない。前線にいても弾に当たらないこともあれば、当たる気もないのに当たって死ぬ人もいる」と運を信じて戦争から帰還し、戦争を書き続けた。

愛する妻に先立たれ、2002年3月14日に妻が息を引き取った部屋で孤独死。享年81。

古山高麗雄って倒産前の河出書房の編集者だったのね。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。