「木下恵介伝」
黒澤明と並ぶ日本映画の巨匠・木下惠介の伝記。
確かに、“世界のクロサワ”は有名ではある。でも、対する、叙情と感傷の“日本のキノシタ”の方が、俺は何十倍も好きだ。
何事においても理解がある両親の下に育ち、映画監督になっても、「父母は理想の人間であり、理想の夫婦であり、理想の親であった」と公言していた木下監督は、そういう両親から、人間を見る尺度、価値観の基準を教えられたことが多い。
先の大戦のさなかに助監督から監督に昇進したが、死にかけた戦争体験から、「人間の命の様々を描くことが、自分のとっての課題であることを悟った」という。
木下監督は一度、結婚している。新婚旅行の時、汽車に乗ってて、嫁に「今日の富士はキレイだね」と話しかけると、嫁は外も見ないで「そうですか」と答え、木下監督は、「美しいものに対して、そんなそっけない答えしかできない鈍感な女とは、とても一生暮らせない」と独りで引き返したそうだ。
木下監督は、俳優には優しいが、スタッフにはとても厳しい。常々、「僕はバカとグズは大嫌い」と豪語、撮影では誰よりも早く起きて、働いたという。とにかくスキとキライがハッキリとしてて、良くも悪しくも、他人が敬遠するほど、頑固に真面目だったのだ。
フランス・パリに滞在中、お金をすられて困っていたパリ旅行中の三島由紀夫を助けてもいる。
木下監督が撮った映画は、戦争で日本人がいかに多くのものを失ったかを繰り返し描いている。失われた命や人情を嘆き、強がりを否定して、一貫して弱さを擁護した。女はもとより、力のない弱い男への愛情も忘れない。
後期の映画は、「人生をこよなく愛し、いかに美しく生きるか」が主題となってる場合が多いが、社会の、60年代安保闘争の流れを受けて、人間の闘争本能を見据えた上で、反戦の思想が表に出て来ることも。
しかし、反戦は木下監督が描きたいテーマの本筋ではない。本筋は、あくまで人間であって、その闘争本能とそれを越える生命力の永遠性なのだ。
「自分の生きて来た証しに、これからでも遅くはない、誰かを愛して愛して愛しぬこうと思います。そして、映画の中に、そういう私の愛の思いを込めたい」
「人間が生きていくことには、悲しみが背景にある。言葉に言えない悲しさがある。人間ほどかわいそうなものはない。生まれた時から、必ず死ななきゃならないと意識する動物ですからね。そういう悲しさが滲み出るような映画を作りたい」
「泣きたい時は、いつでも先生のところへいらっしゃい。先生も一緒に泣いてあげる」by二十四の瞳のデコちゃんのセリフ
脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。