「水俣・福岡展」

数年前に、熊本市内で開かれた時も見に行ったのだが、今回、案内が来たので、昨日、福岡・博多まで走ってきたのだ。

障害者手帳で、高速は半額、入場もフリー。下道を走るよりも燃費が良い。3車線以上の大都会を走るのは久しぶりで緊張したけど。

意外と来場者は多く、多分、生協の各団体だろうか、多人数で、メモを取りつつ熱心に説明を聞いていた。

パネルが中心の展示だが、水俣病について、わかりやすく展示がされていた。

水俣の歴史から水俣病の発生、企業チッソのこと、苦しむ患者や痙攣する水俣の猫の様子、有機水銀について、患者が受けた差別・迫害、激しい裁判等闘争、そして、水俣の現在まで。

映像を交えて、石牟礼道子の詩や散文、ユージン・スミスの写真、水俣病を表現した絵等、美術展示もあった。圧巻だったのは、500点にのぼる患者遺影の展示で、鹿児島・知覧の特攻平和会館を思い出した。

メチル水銀や海のヘドロ、患者が服用した薬のカラ、闘争に使った旗やのぼり・法被・黒ヘル、汚染魚の仕切り網、企業チッソの看板や鉄格子、チッソ(現JNC)製の商品などなど、実物展示もあった。

俺も、団体に説明するスタッフの話を聞いた。

苦しむ患者が、天皇行幸を聞いて、弱々しく「天皇陛下バンザ〜イ」と叫ぶ。頂点に存在している人は、我々のすぐ上に存在する悪い人を懲らしめて、きっと下々の我々を助けてくれるはずだと信じて。そういえば、雅子皇后は、当時のチッソの社長の孫に当たるしね。

チッソ(現JNC)製の商品を見ると、肥料やビニール、液晶・電子部品、シリコン、繊維、オムツ等、日常に欠かせないものばかり。水俣だけでなく(新潟もあった)、世界中に水銀中毒の問題は発生している。我々も知らない間に有機水銀を体内に取り込んでいることがあるという。そして、体内に残った有機水銀は生涯消えることはない。

人間が作り出した人工物は、近代化と豊かさの象徴ではあるけれど、自然と、同じく自然の産物である人間を侵さざるを得なくなる。人間が従来持つ土着の文化や信仰、宗教などによって必死に抵抗を試みても、近代化が生み出す欲と利益という倫理の前には、やはり負けてしまう。

そして、被害者側である大衆は、本当に悪い連中に目を向けることは少なくて、弱い者同士で貶め合う。必ず。加害者側の旗を振る奴が現れて、真実ではない、奇病や伝染病と恐れて、差別・偏見・排外・妬み・嫉み・迫害は、今も続く。

展示を見た後は、福岡・西区に住む弟に連絡、飯でも食うか、ということになり、会って、カエルのサイゼリアで、彼の不満をたくさん聞いてあげた。

弟にも「アニキはこういうのが好きだねぇ」と言われたけど、水俣病でもハンセン病でも、各差別や社会問題でも、人間が持つ“業”が表れる案件には、どうしても興味をそそられてしまうのだ。賛同することとはまた別だ。

帰りは車も少なかったので、約4時間かけて、下道で帰って来た。スーパー片麻痺オヤジでも、さすがに疲れた。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。